2008年12月1日月曜日

10.短命の時代・・・・松王丸伝説

松王丸伝説というのがあります。平清盛が宋との貿易拠点として、今の神戸に湊や人工島を作ろうとしました。経ヶ島(きょうがしま)築造の際、二度にわたって暴風雨にあい、破壊されました。陰陽博士に占わせたところ、海の竜神の怒りを鎮めるために30人の人柱(ひとばしら)を建てねばならないとのこと。清盛は生田の森の関所で、旅人などを30人捕まえさせ、牢屋に入れました。これを見て悲しんだのが、清盛の小姓、松王丸17歳でした。30人の人たちの代わりに、自分を人柱に建てて欲しいと清盛に申し出、受け入れられたのです。千人の僧侶が読経する中、経を書いた石とともに心静かに入水したそうです。そして完成した島は、経ヶ島と命名されました。松王丸は清盛が眼に入れても痛くないほど、かわいがっていた小姓でした。また、松王丸の父親は讃岐の城主、田井民部で、松王丸は嫡男でした。清盛も父親も、松王丸の死を認めたのです。
平家物語などには書かれてないので、真相はよく分かりません。話として、受け継がれているだけなのです。真偽の程はともかく、17歳という若さの死を認めてしまうというのは、どういう感覚なのでしょうか。
私は命の短かった時代だからこその、感覚ではなかったかと考えています。人身御供(ひとみごくう)という命の使われ方も、あの時代の中では意義のあるものと考えたのかもしれません。あるいは長くない命の使われ方として、妥当なものと考えたのかもしれません。ともかく親も認めた、「死という命の使われ方」は、命が短かった時代特有の感覚だと思います。
この間、松王丸が入水したと思われるところを見てきました。神戸港の港めぐりの観覧船に乗ったのです。川崎汽船と三菱重工の造船所の間に、兵庫埠頭があります。たぶんここが、あの経ヶ島のあったところではないかと思いました。船内の案内放送では、神戸港の地理的な特異性に触れていました。東京港、名古屋港、大阪港はじめニューヨーク港、ハンブルグ港など世界のほとんどの港は、大きい川の河口にできているが、神戸港は河口ではない。これは平清盛が、西風を避けるために半島の東側に港を作ったからだと、説明していました。これだけの説明では不十分で、北風や東風を避け、荒波を和らげるために、人工島の経ヶ島を作ったことが抜けています。さらに経ヶ島を作るために、松王丸が命を捧げたことまで、触れて欲しかったと思いました。
命の短かった時代に、このような若者がいたということを、いつまでも伝え残したいものです。(明日につづく)

0 件のコメント: