2009年2月26日木曜日

59.年寄の責任の取り方

ともかく高齢化社会が、若者たちを苦しめていることは明らかです。だから政治は、年寄にその責任を取らせるべきです。責任の取らせ方は三つ、まず、これ以上年寄向けの税金投入を拒否させることです。次に早急に、生前贈与を行わせることです。最後に延命治療を拒否して、尊厳死を迎えられるよう準備をさせておくことです。
長生きができたことに感謝し、国からお金はもらわず、自分の金は早く相続する。じたばたせずに適当なところで、この世とおさらばするという空気にするのです。そうすれば、平均寿命は下がります。平均寿命が下がるということは、悪いことではなくてよいことなのです。日本の景気はよくなり、若者たちは生きがいを見つけることができるようになります。
年をとってからでも、国に貢献できるのです。虎は死んで皮を残すといいます。年寄も死ぬ前に資産を相続させ、早めに死んで年金や医療費を受け取らぬことです。虎の皮に相当する価値ある死に方です。これこそ最も喜ばれる尊厳死であり、充足した人生なのです。
とりあえずこのテーマに関しては、今日で筆をおくことにします。何か書きたいことがあれば、その都度投稿したいと思います。

2009年2月25日水曜日

58.隠居のすすめ

昨日、隠居という言葉が出てきました。
そう、昔は隠居という言葉があったのです。今はほとんど死語となりましたが、隠居とは隠れ住むことです。昔の年寄は、そのことをわきまえていたのです。
ところが質の低下した今の年寄は、隠居しません。しかし、いつまでも年寄がでしゃばっていては、若者に出番がありません。一流の会社であれば、年をとった社長から世代交代するルールが出来上がっています。しかし国民一人一人には、世代交代するルールやシステムがありません。本人がでしゃばっていたければ、年寄という権威と金があるのですから、いつまでもそうしていられるわけです。これでは若い人に、チャンスは廻ってきません。
社会の活力の源は、スポーツ界を見れば分かるように、若い力が年寄を押しのけていくことです。それが自然の理というものです。だから当たり前の状態にするために、若者は立ち上がるべきです。どのようにして立ち上がるか? それは年寄が隠居する気持ちになるような、政治の仕組みを作り上げることです。お金の面でいえば、年寄から若者に流れを政治的に変えることです。心理面で言えば、老醜のPRキャンペーンや老害問題を徹底的に取り上げることです。お金や権力を、年寄から若者へシフトする政治を目指すのです。政治を変えるには、政党を作ることです。皆で立ち上がって、政党を作りましょう。政党の名は、若者党です。(明日につづく)

2009年2月24日火曜日

57.逆年金

高齢化社会は、年寄よりも若者により大きな影響を与えています。のっぺりと間延びした生命を前にした若者たち。自分の前に立ちはだかる長い人生。負け組の若者たちにとって、人生とは辛く厳しいものでしかありません。そこから逃れる方法はないと知っているから、計画的にキレて見たりするのです。怒りや不満をぶつける相手が不明なまま、誰でもいいからナイフを切りつけるのです。
これは冗談半分ですが、逆年金というのはいかがでしょうか。年金をたくさんもらって余っている年寄や大金持ちの年寄から原資を頂戴して、ワーキングプアの若者たちの年金助成に回すのです。公的年金支給停止制度を、一歩進めるのです。少しは格差の解消になるのではないでしょうか。また、キレる若者も少しは減るのではないでしょうか。
もう一つ、選挙権の放棄というのはどうでしょう。75歳以上は選挙権がなくなるというと、物議をかもしますから、選挙権を返上できる、つまり放棄しても構わないようにするのです。謙譲の美徳のある年寄は、自分は隠居して世の中のことは若者たちに任せようと考えるでしょう。(明日につづく)

2009年2月20日金曜日

56.内戦の予備軍兵士

ワーキングプアが増えています。今、満足に飯が食えない上、将来の展望は何もない若者たちが増えているのです。このような若者たちの中には、キレる人間が混じっています。これが内戦の予備軍兵士です。
脳の成長期にテレビゲーム漬けになると、反射神経やカッとなりやすい感情的反応の神経ばかりが発達してしまいます。逆に、人間として大事な自制心・判断力・創造性が欠如します。いわゆるゲーム脳です。彼らは何らかの拍子に、突然キレます。理由もなければ目的もなく、やけくそになって暴れまわるのです。当然のことながら、暴力や殺人の直接の責任は彼らにあります。だから、彼らを取り締まるしかないのでしょうか。
私が言いたいのは、このまま何もせずに日本は、団塊の世代を加えた超長寿社会を迎えていいのかということです。間延びした生命の中で、広がる若者と年寄の格差。派遣社員と正社員の格差は、法改正である程度うずめることが可能だと思います。しかし、若者と年寄の差は開く一方です。しかも皆、この格差こそが最大の問題点であることに気づいていません。
現在の日本の国の究極の課題は、この若者と年寄の格差是正です。特に政治家の方には、早くこのことに気づいてもらいたいと思います。(来週につづく)

2009年2月18日水曜日

55.派遣社員

以前、派遣社員の心根に触れた経験があります。専門職の女性派遣社員4人の机と、2メートルほど離れた場所に、部署は違いましたが1年間ほど座っていたことがあります。彼女たちは優秀で、学歴も正社員より上のようでした。男性課長よりも優秀なのは、誰が見てもすぐに分かりました。仕事も手際よく英語がしゃべれるので、外国人から電話がかかってきてもうまくこなしていました。正社員は、外国人からの電話には逃げ回っていました。そんな彼女たちですから、正社員に対する不平等感を持っています。給料・休暇・契約期間など、正社員とは雲泥の差です。一番のコンプレックスは、契約期間がきたらよほどのことがないかぎり、クビになってしまうことです。その4人の派遣社員が座っている付近は、独特の雰囲気がありました。拗ねているというか、諦めというか、そんな態度や会話が鼻につくのです。ちょっとした点数の差か、何らかの偶然で正社員になれず、やむなく派遣会社に登録している無念さやあきらめの混ざった感じが伝わってきます。作業中心の製造業の派遣社員とは違い、サービス業においてはこのような微妙な空気が流れているのです。多くの会社の中に今、これと同じような空間がたくさんできていると思うのです。
彼女たちはまだましです。少なくとも2年間の契約期間は、致命的なミスがないかぎり仕事にありつけるからです。悲惨なのが日雇い派遣です。明日仕事があるのかないのか、あればどんな仕事で場所はどこなのか、連絡があるまで分からないのです。まじめな人ほど、恐怖の生活を送ることになります。仕事が少ない時は、食事の回数を減らすそうです。まさに江戸時代の飢饉のときの、水呑百姓のようではありませんか。(明後日につづく)

2009年2月17日火曜日

54.間延びした人生

人生は若者から見れば非常に長い未来ですが、年寄から見れば非常に短い過去です。ほとんどの年寄は長生きしても、長生きしたとは思っていません。西鶴や芭蕉のように、「50年も生きたのだから、もうこれで充分だ」と考える人は少ないのです。短命の時代では、西鶴や芭蕉のように人生五十年と覚悟して生きました。しかし今は、医療・食糧・衛生など飛躍的によくなっています。過去類例を見ない長寿社会を迎えたのです。団塊の世代が60歳代となり、やがて年寄の仲間入りをします。ますます年寄の数が増えるのです。植島教授ではありませんが、人生がのっぺりと間延びしたものに変わっています。間延びした生命は、年寄だけのことではありません。若者にとっても、気の遠くなるような間延びした長い人生が待ち受けているのです。年寄はふと気づいたら、年をとっていたと感じます。しかし若者は反対です。死の告知の逆で、これからの長い生命を告知されているようなものなのです。
間延びとは、時の価値が下がることを意味します。若者の生きている時間の価値が、下がっているのです。特にいわゆる負け組の若者たちにとって、人生はどれほど辛く苦しいものでしょうか。現在の辛くて苦しい人生の延長線上には、明るいものが何も見えてこないのです。あと半世紀以上も生きなければならないというのに、お金や生活の不安しか見えてこないのです。結婚するなどといったことは、不安で考えることもできません。(明日につづく)

2009年2月16日月曜日

53.公的年金支給停止制度

取れるものは取る、少しでも権利があれば要求する、というのは従来の日本人になかった思想です。
2007年4月に創設された、「公的年金支給停止制度」をご存知でしょうか。これは、公的年金を申し出れば辞退できるという制度です。創設から1年以上経過した2008年8月現在、辞退を申し出た人は全国でたったの150人だと発表されました。年金(厚生+国民)受給者数5300万人で割ると、0.00000283%です。283000人に1人しか辞退しないのです。一つの県で2~3人しか辞退しないという状況なのです。金は持っているくせに、強欲な年寄が多いのです。
アリストテレスの指摘が、現代日本でも見事に的中しています。老人はけちでエゴイストなのです。よく金はあっても、邪魔にならないといいます。老人はそのフレーズを活用して、言い訳にしています。
しかし、敢えて言わせていただきたい。「金は自分の本分以上に持つと、邪魔になる」と。使うすべもないほど年金をもらっていて、毎月(年金の場合は2ヶ月に1度)貯金が増えていく年寄がたくさんおります。一方で、お金がまわってこなくて困っている若い人たちが、たくさんいるのです。そういうことに思いをいたすことができず、ただ利己的かつ鈍感に生きているだけということでは、浄土や天国にはいけないでしょう。金は自分の本分以上に持つと、邪魔なのです。
必要でないものは取らない、権利があっても人の道に反すると思えば要求しないというのが、本来の日本人です。今、教育に求められているのは、この点ではないでしょうか。「権利があっても主張しない理由」を考えさせる教育です。それを、模範となるべき年寄が、ぶち壊しているのが現状です。(明日につづく)

2009年2月13日金曜日

52.謙虚な年寄

昨日の社長以外に10人ほど、戦争生き残りの人たちと話したことがあります。あの社長と違って、皆に共通するのは、自分だけが生き残ってきたという、「後ろめたさ」のような空気を感じたことです。悪い言葉で言えば、男のずるさを感じました。
戦争で苦労をして、生きて帰ってきた方々に対して、悪口を言うつもりは毛頭ありません。ただ純粋な気持ちと勇気を持った人たちのほとんどが、一番乗りをして死んでいったことを忘れてはならないと考えるのです。そして生き残った方々は、戦友の冥福を祈りつつ謙虚に老後を迎えていただきたいと思うのです。余計なお世話だといわれるかもしれませんが、最近やたらと悪くてずるい年寄を見かけるので、ついこの話をしてしまいました。
戦後、権利の主張は当たり前になりましたが、その反対に義務の履行がおろそかになっています。自己責任といってもいいのですが、なんでも国に頼らずに自分で生きていくという考え方が重要です。国民一人一人が国の集めた税金を取り合うのではなく、我慢できるのであれば、謙虚に辞退するという姿勢が大事です。そういう甘いことを言っていると、図々しい奴に全部持っていかれるよといわれるかもしれません。それはそれで、持っていかれない方法を考えればいいわけです。私が言いたいのは、国民一人一人がもっと謙虚になって欲しいということです。先日新聞のコラムで、ある老人の意見が取り上げられていました。
「年寄は年金で若い人たちに負担をかけている。病気でさらに迷惑をかけてはいけない」
こういう心構えのお年寄も、まだおられるのです。(月曜日につづく)

2009年2月12日木曜日

51.強引な社長

大分前の話ですが、私の取引先の社長が生き残りの世代にあたる人で、長い捕虜生活の末に無事帰還されました。その社長は次々と戦友が死んでいく中で、「どんなことがあっても、生きて帰るんだ」という強い意志を貫かれたそうです。そのこと自体は、立派な行動だと思います。戦争から生きて帰ったのだから、おめでたいことです。彼は帰国後、遮二無二働いて企業を立ち上げられました。成功者です。私が問題にしたいのは、彼の人格です。
交渉ごとは、脅しあり賺し(すかし)あり。強引に、何が何でも自分の思い通りに進めるのです。相手の立場など眼中になく(実は相手をよく観察しているのですが)、ただひたすら自分のために交渉を進めるのです。たいていの交渉相手は、屈服するか逃げ出してしまいました。私はこの人を見ていて、金は腐るほど稼いだけれども、それと反対になくしていったものがあることに気づきました。なくしていったものとは、人間の品性です。
彼にとって一番大事なのは自分であり、二番目は家族。他人の中では、自分の商売に協力してくれる人だけ仲間にしてくれます。彼の価値観は、金や名誉だけです。ともに戦って死んでいった戦友やその家族のことなど、胸中に一瞬でも去来することはあったかもしれません。しかし、それは過去のことであり、大事なのは現在の自分のことなのです。
私はこの社長を見て、戦争で生き残るということは生易しいことではないと思いました。戦争で生き残って帰ってきたという経験が、その後の人生に大きな影響を与え続けたことは間違いありません。そしてこの社長の場合は、その経験がなりふり構わぬ商売のやり方につながっていったものだと考えられます。(明日につづく)

2009年2月10日火曜日

50.一番乗り

醜い老人が増えている一方で、ずるい老人も増加しています。偏見かもしれませんが、太平洋戦争の生き残りの80代の男性に多いような気がしています。
「戦友の遺骨を抱いて」という軍歌があります。
一番乗りをやるんだと~   力んで死んだ戦友の~  遺骨を抱いていま入る~  シンガポールの街の朝~
敵陣に一番乗りをかければ、撃ち殺される確率は限りなく高いはずです。お国のためと思って純粋な気持ちで真っ先に突っ込んで兵たちは、ほとんど死んでしまったと思います。何度もの突撃で、常に一番乗りを目指していれば、命がいくつあっても足りません。映画、「コンバット」のサンダース軍曹のような兵隊は、実際には存在しなかったと見るべきでしょう。
ともかく、生き残った人たちには申し訳ないですが、一番乗りのような行動をとらなかったから生き残ったのではないと思うのですが、いかがでしょう。生き残ったことが、悪いと責めているのではありません。逆に生き残りという選択肢も、当然あっていいとは思います。私が言いたいのは、体を張って先頭にたたなかったから、生き残ったという事実です。(明後日につづく)

2009年2月9日月曜日

49.菩薩のような年寄

私が中高生くらいの時までは、確かに菩薩のようなお年寄がおられました。
勉強のできない孫が親に叱られても、「勉強ができなかった子のほうが、大人になったら偉くなるから心配はいらないよ」といってくれるおばあちゃんがいました。学校の門番をしていた守衛のおじいさんは、生徒が学校から帰るときには最敬礼をして見送ってくれました。心が広くて清らかなお年寄が、たくさんおられました。
それに比べて、現在の年寄の品のなさにはあきれます。もちろん年寄の一部ではありますが、昔はいなかったタイプの品のなさです。騒音おばさんやゴミ屋敷じいさんなど、常識では考えられない年寄が出現しています。他人に対する思いやりとか迷惑をかけないという心配りが、全く欠如している人たちです。
醜い老人が増えています。(明日につづく)

2009年2月6日金曜日

48.醜い老人

30年ほど前、消費者への還元セールで、お年寄を劇場に無料招待したことがありました。朝早くから長蛇の列となりました。夏のことで、列の後ろの方のお年寄たちは、直接太陽光にされされました。その時に、一人のおばあさんが叫んだのです。
「年寄を殺す気かあ~!! 」
もう少し他に、ものの言いようがあるのではないでしょうか。暑いから早めに入場させて欲しいとか、日傘のない人だけ建物の陰に移動させて欲しいとかいわれるのなら分かります。しかし、無料で招待されておきながら、「殺す気かあ~」はない、と思いました。結局早めに場内に誘導したのですが、あの時の品のない言葉はいまだに忘れません。暑くても我慢するか、我慢ができなければ上記のようなお願いをすればいいのです。あの頃から品のない年寄が、出現し始めたように思います。
私がもっと若い頃には、菩薩のような年寄がおられました。(来週につづく)

2009年2月5日木曜日

47.補助金

J・F・ケネディ米元大統領の有名な演説があります。
「国がわれわれに対して何をしてくれるかではなく、われわれが国に対して何ができるか・・・・・」

そう、国に期待しないことです。去年石油が値上がりした時に、漁業が大打撃を受けました。全国規模で、漁船が休漁しました。漁船の水揚げでは石油代をカバーできず、赤字操業になるからです。そこで、政府に対して補助金を出すようにという声が出てきました。このままでは、日本の漁業人口は激減し、立ち直れなくなるというのが主な理由でした。
しかし、待ってもらいたい。赤字になるのなら、魚の値段を上げればいいのです。ところが、複雑な流通機構のせいで、値上げできないというわけです。しかし、値上げができないのは業界の問題であって、それを放っておいて、国に税金の一部をよこせというのは筋違いです。困ったらすぐに業界ぐるみで、国にお金をせびる体質は、国民の理解を得られません。まず赤字を出さないように、魚の値段を上げることです。セリだから、勝手に値段を上げられない? その場合は、損益の最低価格を決めてそれ以下なら売らないことです。そのようにして市場でつけられた価格が、消費者に受け入れられればそれでとりあえず解決です。受け入れられなければ、そのときに対策を考えればいいのです。努力もせずに、補助金に頼るというのは感心しません。相場が動いて石油価格が下落した現在、「補助金をよこせ!」という声は鳴りを潜めました。あの叫びは一体、何だったのでしょうか。(明日につづく)

2009年2月4日水曜日

46.公正な議論

よく大声で、「戦争は絶対にいけない、無条件でやめるべきだ」と叫んでいる人々がいるが、彼らがいくら叫んでも戦争はなくなりません。観念的に、「〇〇はダメ」と決め打ちしてしまうのは、単なる感情論です。そのような人は内戦が起きているアフリカに出かけていって、「戦争はダメよ」などというプラカードを担いで、戦争反対を訴えてみてはどうでしょうか。撃ち殺されるのがオチです。
戦争がよくないことは、誰でも分かっています。戦争はよくないが、それを前提とせず、「どうすれば戦争を避けられるのか」という議論をするのが大人のやり方です。中には、避けて通れない戦争というものも考えられるはず、といった意見も出るかもしれません。そういう意見も言わせたうえでの議論でなければならないと思うのです。頭から戦争反対だけを前提にした議論は、偏っています。
「年寄を大事にしなくてはいけない」も同じことです。無条件かつ観念的に、年寄が大事な存在だと決めてかかるのは感情論です。私も、年寄を大事にするのは当たり前という教育を受けてきました。だから年寄を大事にするのは当たり前、という前提に立ちそうになることがありました。しかし冷静に考えれば、年寄以外の、たとえば赤ちゃんは大事にしなくてもいいのかとか、手がつけられないほどたちの悪い年寄を大事にする必要があるのかといった疑問が残ります。やはり年寄も含めて、人間皆が大事だということでしょう。その前提に立って、「年寄を大事にするということは、具体的にどのようなことを指すのか」という議論をするべきだと思います。そうすれば当然、大事にしなくてもいい年寄だとか、年寄を大事にしなくてもいい場合などという概念も生まれてくるはずです。なにがなんでも、「ダメなものはダメ」式の発想では、話し合いになりません。
考え方の土台に価値観の共通部分を残しながら、あらゆる可能性を追求していく姿勢を持つことが、公正な話し合いです。時代とともに、年寄の概念も変化していくはずです。今までの固定観念を捨てて、年寄をどう扱うかについて、国を挙げての議論をするべき時期に来ています。(明日につづく)

2009年2月3日火曜日

45.新聞社の提言

去年6月16日付読売新聞に新聞社の提言として、「人口減・超高齢社会にふさわしい年金制度はどうあるべきか」という記事がありました。朝日・日経・読売の専門記者の座談会の記事です。どの記者の意見も同じようなものでした。基礎年金は税方式に移行するのか、現行の社会保険方式を維持するのか。現行維持の場合は、非正規労働者の厚生年金加入促進を強化するべきだとか、税方式に移行するまでの間は旧制度と並存させるのがいいとか・・・・・。
これでは官庁と同じ発想です。官庁の取材が長すぎて、官僚病が記者に移ってしまったのでしょうか。
私の意見はこうです。年金にこれ以上予算を突っ込まないことです。現状の予算は、年とともに減っていきます。労働人口が減少するからです。予算が減ったからといって、お金を補給してもキリがありません。受給者の数と納付者の数が、違いすぎるからです。解決方法は、年金額を減少するしかないのです。
ところが、予算の減少に伴って年金を減らすなどという発想は、官庁にはありません。そんなことをすれば、非難されるだけです。しかしこれは長年、怠慢で無責任な行政を放任してきたツケなのです。20年以上前から分かっていたことなのです。無為無策、または触らぬ神に祟り(たたり)なしということで、年金行政は置き去りにされてきました。その結果として、今日このような状況を迎えているのです。だから、現状を認めるしかありません。認めた上で、年金が減って餓死する人への対策とか、まだ働ける年寄に働いてもらうなどの対策をとるしかないと思うのです。もちろんこれは私個人の意見ですが、この問題一つをとっても、国論を二分するのではないでしょうか。何としてでも年寄の年金を確保しようとする側と、この際、私のようになるようになれではありませんが、ない袖は振れないとする側に分かれて議論するべきだと思います。前出の新聞記者のように、年金支給は当たり前で、消費税から何円取るかなどと辻褄をあわせているようではお話になりません。
「年寄をどうするのか」という根本的な姿勢を決めることが、先決ではないでしょうか。(明日につづく)

2009年2月2日月曜日

44.年金価値の減少

これからの日本が、高齢化社会になることは確定しています。
高齢化社会になると、労働人口が減少します。労働人口の減少は、生産力の低下を意味します。生産力が低下すると、モノ不足になります。モノ不足の解消には、輸入を増やすか新しい労働力を確保するしか方法がありません。しかし、これ以上輸入依存度を上げるのは危険です。自給力を上げるべきです。若年労働人口が減少する中、自給力を上げるには、海外労働者の受け入れか高齢者の雇用促進しかありません。
ともかくこのまま放っておくと、間違いなくモノ不足になります。モノ不足はインフレを招きます。物価が上がるのです。そうすると年金価値が減少します。そう、これがいいたかったのです。
高齢化社会 → 労働人口の減少 → 生産力の低下 → モノ不足 → インフレ → 年金価値の減少
こういう流れです。今予定されている年金で、生活設計できると思い込んでいると、物価の上昇という邪魔者に壊されてしまうのです。一方で少ない労働人口が、大量の年金受給者を支えるという構図は全く変わりません。このように考えると、これからの日本人の老後は真っ暗闇なのです。(明日につづく)