2008年11月28日金曜日

9.早く一人前に

私の家の近くに、宮川という小さな川があります。その宮川にこの夏、カルガモの親子が生活していました。最初見たときは母親のすぐそばを、すずめよりも小さな子供5羽が離れずに、かたまって泳いでいました。1週間後に見ると、子供は2倍ほどの大きさに成長しており、母親から少し離れてえさを食べていました。2週間ほどたったある日、陰に隠れて子供たちを見張っていた父親と子供たちと一緒にいた母親が、突然川上の方に飛び去ってしまいました。子供たちはびっくりしたようで、戸惑っていましたが、やがて仕方なくみんなでえさを物色し始めました。5分ほどたった頃に母親だけが戻ってきました。子供たちは大喜びで、全員母親のそばに駆け寄りました。そして今までと同じように、母親の周りでえさを食べるのでした。3週間目には、子供たちは目に見えて大きくなっていました。母親の5分の1くらいにまで成長したでしょうか。それでもまだ、親離れできずに母親の周りでえさを物色しています。かなり離れて泳いでいる子供もいます。自立できるのも、時間の問題でしょう。カルガモの寿命が何年か知りませんが、多分短いだろうと思います。だから子供たちは、早く一本立ちしなくてはならないのです。
同じ川に、カワウソが一匹いました。母親はこのカワウソを、特に警戒していました。子供たちがカワウソの餌食にならないように、早く成長させなくてはなりません。一見、かわいいカルガモの親子の隊列ですが、よく観察していると、彼らの行動はえさを食べることに集約されています。親としてはえさをたくさん食べさせて、早く大きくして、一本立ちさせたいのでしょう。第1週目など親は子供たちから片時も目を離さず、自分はえさを一切食べませんでした。短い生命の中で、子供たちを早く一本立ちにすることが急務なのです。子供たちを一人前にするためのカルガモの親の行動は、一部のすきもない見事なものでした。短い生命を、精一杯生きているカルガモの親子の姿に感動しました。
このことは人間にも当てはまるのではないでしょうか。短命の時代には、子供たちを早く一人前にするという大命題がありました。今の小学生くらいの時から、丁稚奉公や女中奉公に出しました。武道にせよ学問にせよ、その教え方は、今より早い年齢の頃から、今より厳しく行われたと思います。15歳で元服という目標がありましたから、それが急務だったのです。
現在の日本は、その反対です。短命の時代のような、時間的制約がありません。なにしろ80年も90年も生きるのです。15歳で元服などという目標がありませんから、25になっても30になっても、子供のような若者が一杯います。しかも武道(スポーツ)や学問などに集中して取り組もうとしません。早く一人前になるための、教育と訓練を受けていないのです。
ムシャクシャするから秋葉原あたりで、何の関係もない他人を殺しまくるような輩(やから)は、体は大人でも精神は幼稚園児以下でしょう。爆弾を持たせて、街の中をううろつかせているようなものです。危険極まりません。短命の時代には、ありえなかった事件です。(来週月曜日につづく)

2008年11月27日木曜日

8.短命の時代と長寿社会

明治時代中期まで、日本人の平均寿命は30歳代の半ばだったといいます。昔から幼年期を乗り越えたら、そのくらいまで生きられたのです。大正時代になってようやく平均寿命は延び、40歳代の前半になったそうです。そして、戦後になって初めて60歳代まで伸びました。それがいまや80歳を超えているのです。
現在でもアフリカや東南アジアの一部には、平均寿命が30歳という国もあるようです。人類の歴史から見ると、今の日本人は異常な長命であることが分かります。人類何百万年の歴史の中で、この数十年の日本は驚異的な長寿社会を迎えているのです。だから、今までと同じサイクルで人生を見つめることはできません。短命の時代にはそれなりの人生観というか、生き方がありました。長生きしても30歳くらいで死ぬという時代が、ずうっと続いてきたのです。
それがいまや、短命の時代の2倍も3倍も長生きするようになりました。ずうっと続いてきた短命の時代の人生観や価値観では、今の長寿社会の問題点を説明することが難しくなってきています。たとえば、短命の時代には長生きした人のことを、「長老」と呼んで尊敬していました。長生きする人は稀だったし、そのような人は人生経験が豊富だったから相談相手として敬われたのだと思います。
現在のように長生きする人が増えてくると、「長老」とは呼ばれなくなりました。当たり前です。長寿が珍しいから尊敬を集めたのであって、珍しくなくなれば誰も相手にはしません。老人ホームに送られたり、独居の年寄が激増中です。年寄を見る目は、昔とは違ってきているのです。
昔も今も人生という意味では同じでしょうが、寿命すなわち時間という物理的要素が決定的に違ってきているのです。この物理的要素が違ってくることによって、人生に対する精神的価値観も大きく変化してきました。
短命の時代と長寿社会。連続した歴史の中で、この数十年の変化は日本の国を根底から変質させてしまうくらいインパクトの大きいものだと思うのです。

2008年11月26日水曜日

7.命の価値

沈没しかかっている客船があると仮定します。あいにく救命ボートには、乗客・乗員全員が乗れません。救命ボートに乗る優先順位は、どうなるでしょうか?
まず、子供と女性は最優先でしょう。乗員以外の客の中では、年寄が一番あとになるのではないでしょうか。乗客の自由意志に任せたとしても、年寄は遠慮すると思います。まさか女子供を押しのけて、自分だけは助かりたいといって、救命ボートに飛び乗るような年寄はいないでしょう。
命というかけがいのないものの優先順位は、明らかに年寄の味方にはなってくれません。これは一隻の客船の中における命の順位付けともいえます。限られた数の生存権の奪い合いともいえましょう。究極の状況に追い込まれれば、人間はこのような残酷な選択をしなければならないのです。
この状況を、日本の国にあてはめて考えてみたいと思います。国は国民の税金を活用することによって、成り立っています。しかし今、命の次に大事といわれるお金つまり税金が不足しています。歳入増は期待しづらいので、歳出の削減しかありません。これ以上国債に頼らぬためには、予算の削減やカットしか選択肢はないのです。
救命ボートの数が足りないから、乗れない人たちを決めなければならないということなのです。沈没する客船に誰を残し、誰を脱出させるか決断しなければなりません。この答えは書くまでもないでしょう。私が若ければ、この答えは無責任といわれるかもしれません。しかし、私は年寄の仲間入りをしている人間です。企業を定年退職し、貯えもなく少ない年金で生活している立場なのです。今、腰痛をかかえていて健康のことも不安です。厳しい立場であるがゆえに、筋の通った話を主張したいのです。自分だけいつでも救命ボートに乗れるように準備をしておきながら、一方で正論をぶち上げるような姑息なことはしません。私は救命ボートに乗りません。だから同じ立場の年寄に、「若い人を優先しましょう」と呼びかけることができるのです。(明日につづく)

2008年11月25日火曜日

6.元厚生次官襲撃

このブログを始めてすぐに、元厚生次官襲撃事件が起こりました。ズバリ、この事件の原因は、私が1~5で指摘した、社会の不平等感から来る不安と不満だと思います。
読売新聞の昨日(11月24日)の社説には、戸惑いの言葉がたくさん出てきます。
①旧厚生省の元事務次官2人が相次いで狙われた事件は、不可解な点があまりにも多い。
②以前飼っていた犬を保健所に殺されていたことに腹が立っていたなどと供述しているが、こんな説明では大胆な犯罪には結びつかない。
③現役でもない二人を何故狙ったのか。
④男は山口県出身で、大学を中退後にコンピューター関連や宅配便の仕事をしていたという。このような経歴からは、元次官との接点や、政治的な思想や背景はうかがえない。
⑤執拗に刃物でさした犯行から、「極めて強い殺意があった」と警察は見ている。そんなゆがんだ感情がどこから生まれたのか。
⑥背後で操った人物がいたのか。
⑦何故出頭する気になったのか。
と、このように戸惑っています。最後には、「このような事件がまた起きるのではないかという社会の不安は、容易には消えないだろう」「ネット上には今回の犯行を擁護する書き込みも見られた」と結んでいます。
大新聞の論説委員が書く社説も、この程度です。今の社会がよく分かっていません。社会の不安は容易には消えないだろうなどと、人事(ひとごと)のように書いていますが、不安を持っているのは犯人の方(ほう)です。不平等感による不安と不満をもっている人たちが、あふれているのです。その中で、この犯人のような極端に屈折した人間が、出てきただけのことなのです。
この犯人の場合、③HOWだけではなく、①WHO,②FORも警察に話しているようです。つまり、①元厚生省次官を、②犬を殺されたから、③ナイフで刺した、ということ。でも①の元厚生省次官や②の犬殺しは、勝手なでっち上げに過ぎないと私は見ています。つまり、犯人自身の将来に対する不安感=夢の喪失や社会の不平等に対する不満が原因であって、①や②は付け足しに過ぎないと思うのです。要するに、秋葉原や土浦市の事件と根は同じです。
社会を揺るがす数々の事件。その根本的な原因の究明が急がれます。だから私は主張します。それらの原因は、高齢化社会にあると。今の日本の社会の中に現れてきた、高齢化という問題を抜きにこの事件は語れないのです。(明日につづく)

2008年11月21日金曜日

5.平成一揆

将来が見えない、夢がもてない若者が増加しています。彼らを野放しにしておくと、昨日書いたような事件が、今後も頻発することは目に見えています。それらの事件は、全国各地でばらばらに起きているように見えます。しかし実は、原因が同じということではつながっており、点のように見える事件はやがて広がり、面へと発展する。
そこに、英雄的リーダーシップを持った人間が出現したらどうなるか。やがて彼(彼女)は担ぎ出されて、革命のリーダーとなるでしょう。革命の旗には、「夢」と書かれ、ケータイを介して全国的な動きが起こり、やがて内戦へとエスカレートしていく。国内は不満分子の決起による、内戦状態となるのです。負け組の、勝ち組に対する戦闘が開始される。戦いとか戦闘とかいっても、必ずしも銃などの武器を使うとは限らない。役人や警察官に対して、一切協力しない姿勢つまりストライキの形をとるかもしれない。人が見ていないとき、又は自分の正体がばれにくいネットで、あらゆる犯罪を手助けして社会に不安を与える作戦をとるかも知れない。あるいは宗教の衣を着て、社会に復讐するかも知れない。ともかく波状攻撃的に、各地で連続して、社会を不安に陥れる動きが急速に広がるのです。
江戸時代にも同じような内戦がありました。天保期の一揆・打ちこわしです。この時期、特に奥羽・北陸・北関東が天候不順のため凶作でした。これらの地方で一揆・打ちこわしが数多く起こりました。
青木美智男著、「百姓一揆の時代」によると、驚くべきことに冷害でも干害でもなかった四国や中国地方など全国各地で、一揆・打ちこわしの蜂起が見られたとあります。その数は、天保期14年間で1,000件を越えたそうです。どうやらこういった現象は、不満が不満を誘発していったのではないかと考えられます。社会的な不平等感による不安と不満は、伝染するものなのです。
しかしこの時代の一揆・打ちこわしは、①WHO,②FOR,③HOWがはっきりしていました。
①領主に訴えるために豪農や特権商人に対して、
②困苦からの解放=米を求めて、
③全員で打ちこわしを行ったのです。
しかし現代の内戦は、①②つまり、誰に対して何のために行うのか歴然としません。そこのところを見極めることが、重要なのではないでしょうか。
私は次のように考えます。このような内戦が起こる原因は、ずばり長寿社会だと。ハッキリいうと高齢化社会が、若者をだめにしているのです。三段論法でいうと、①高齢化社会が若者をだめにしている。②だめな若者がキレまくって人を殺傷する。③だから殺傷事件の原因は、高齢化社会だ。
このブログでは、現代社会で起こっている数々の不可解な事件の原因が、高齢化社会にあるということを解き明かしてみたいと思います。そしてこれからの日本は、高齢化社会をどのように扱うかをあらゆる政治の争点にすべきだと主張します。人類史上初の超長寿社会を分析することによって、今の時代を読むことが可能になります。また日本の国の行くべき道が、明らかになると考えています。(来週火曜日につづく)

2008年11月20日木曜日

4.内戦の始まり

今、日本の国で静かにそして着実な足取りで、内戦が進行しています。今は個人レベルで起きている事件の数々も、いずれは集団レベルの事件に発展していく可能性があります。何かのきっかけで、大勢の人間がグループ化して戦闘集団となり、日本は内戦状態になる。内戦の争点は、「夢」です。夢をもてなくなった人間が、国や他の日本人に対して仕掛けていく戦いなのです。あと数年しか寿命がない年寄にはあまり夢は必要でないし、夢がもてないことが不満とはなりません。問題は若者です。平均寿命が80才以上になって、あと50年も60年も生きていかなければならない若者たち。彼らは夢がないのに、半世紀以上も生きていかなければならないのです。
最近若者の間で、大麻がはやっています。起訴された容疑者の三分の二は、10~20代の若者です。人生これからという時に、先々の準備もせずに、ただ麻薬の世界におぼれている若者が増加している原因は何でしょうか。そうです。この先の人生に夢がもてないからです。
アメリカで何故黒人の犯罪が多いか、ご存知でしょうか。私はやはり大半の黒人が、夢をもてないからではないかと思うのです。
人間の生活に必要なものは何か? 衣・食・住? それだけでは不十分です。プラス夢です。夢がもてなくなれば、たとえ衣・食・住が充足されていたとしても、人間は生ける屍です。
今、フリーターを含めた失業者つまり定職を持たない若者は、500万人を超えています。経済の状態を見ていると、その数は今後ますます増えるでしょう。夢をなくした若者たちと彼らに同調する大人たちが結束して、社会に対する不満を爆発させたらどうなるでしょうか。
振り込め詐欺が頻繁に起きていて、被害者が後を絶ちません。これは貧しい若者の、豊かな年寄に対する報復と捉えたらどうでしょう。若者や子供たちの老人殺しも、しょっちゅう起きています。これは夢をなくした若者の、口だけ出して金を出さない年寄に対する不満の暴発と見てはどうでしょう。若者の年金未加入、非加入。これも若者の、国や役所に対する失望と抵抗と考えてはどうでしょう。(明日へつづく)

2008年11月19日水曜日

3.不平等感

現在起こっている事象の原因を、私なりに考えてみました。犯人たちの共通点です。それは不平等感から来る不満と不安ではないでしょうか。
不平等な社会に対する不満感と、自分だけが社会から取り残されているという不安感が、織り交ざった感情ではないかという気がしています。言葉を変えればその感情とは、将来の保証がない人たちの、将来が保証された人たちに対する不平等感です。派遣、フリーターたちの公務員、大企業社員、高額年金受給者たちに対する不平等感です。いわゆるワーキングプアたちの不平等感です。そして、その不平等感から派生する不満と不安です。
かれらは、自分たちをこのような境遇に陥れた直接の敵を知りません。自分たちは、誰の所為でこのようになったのか分からないのです。①WHOが分からない。また②FORも分かりません。分かっているのは③HOWだけです。
①誰でもいいから、
②理由は分からないが、むしゃくしゃするので、
③ナイフで刺しまくった。
ハッキリしているのは、③のナイフを使うという手段だけです。あとはやっている本人も分からないのです。ナイフで刺す相手は誰でもよくて、刺す理由もよく分からないのです。(明日につづく)

2008年11月18日火曜日

2.続・殺人の動機

革命、一揆、暴動、内戦。
不満を持った民衆が、立ち上がります。その原因は、「不平等」の一語に尽きます。人類の歴史が始まって以来、ほとんどの争いの原因は、「不平等」でした。そしてその不満の矛先は、不平等によって得をしている人たちに向けられます。飯を食えない人々の、飯をたくさん食っている者に対する不満。米を少ししか収穫できなかった百姓の、年貢米を取り立てる代官に対する不満。給料が少ない労働者たちの、豊かな経営者に対する不満。重税にあえぐ国民の、国や官吏に対する不満。
革命、一揆、労働運動など、過去の戦いは分かりやすかった。誰が誰に対して戦いを挑んでいるのか一目瞭然でした。
①誰と誰が(敵味方に分かれて)、
②何をめぐって(何を目的として)、
③どう戦う(何を取り合う)
のか、ハッキリしていました。
たとえばサッカー。
①AチームとBチームが敵味方に分かれて、
②試合の勝利を目指して、
③得点を取り合う
といった具合です。
今、ふるさと税が話題になっています。地方税を今住んでいるところだけでなく、希望すればその一部を自分の故郷にも振り分けることができる制度です。これなどは、
①都市対地方で、
②財政健全化(再建)を目指して、
③税金を取り合おう、としているのです。
このように、①WHO,②FOR,③HOWがハッキリしています。ところが最近の殺人事件は、この3点が不明朗です。特に、②のFORがよく分からないのです。何を目的として、そのような行動をとったのか本人ですら分からないのです。殺人だけに限らず、最近の事件を見ていると、このようなわけの分からない行動をとる人たちが増えていることを実感します。しかし、過去にもわけの分からない事件はたくさんありました。昭和初期などは、常識にかからない事件が多発した時代です。猟奇的殺人事件についても、過去にたくさん例があります。さらに、残酷な殺し方という点においては、織田信長などその際たるものでしょう。だから最近の殺人事件の内容に関しては、さほど驚いてはおりません。問題は、その数です。わけの分からない事件が多すぎると思うのです。今まで潜在化していて見えなかったものが、顕在化してきているのかもしれません。今まで黙ってじっと押し殺してきた人間の感情が、殺人事件が起こることによって呼び覚まされるのでしょう。事件を真似る人間が急増しています。その規模は、過去最大といっていいのではないでしょうか。
誰に対してどのような理由で、不満を持っているのかが分かれば、解決方法はあります。一番困ったことは、それらが不明なことです。(明日につづく)

2008年11月17日月曜日

1.大量殺人の動機

秋葉原通り魔事件、大阪個室ビデオ店放火事件、茨城県土浦JR荒川沖駅無差別殺人事件等など・・・・・。今年の1月から10月までの10ヶ月間に全国で11件の大量殺人事件があったそうです。月一(つきいち)以上のペースです。
大量殺人といっても、一度に大勢の人を殺す場合と、時間をおいて順番に人を殺していく連続殺人があります。後者の場合は、動機が明確です。怨恨、金銭、性癖等など・・・・・。過去に連合赤軍事件、愛犬家毒殺事件、幼児連続殺人事件などがありました。
前者の場合、動機が明確なものと不明確なものに分かれます。動機が明確なものはいいのですが(いいわけないだろ!?)、動機がよく分からないもの、いわゆる理由なき殺人ほど厄介なものはありません。
動機がよく分からない殺人事件にも、突発的犯行と計画的犯行があります。突発的殺人の犯人は、病気(精神病)や薬物中毒などが多いようです。一方、計画的殺人犯はどこにでもいるような人間が多いようです。家族や近所の人の話では、「あんなことをする子だなんて信じられない」などといったコメントがよく聞かれます。犯人は普段、鬱憤、不満、不安、ストレスをためにためています。そして、「いつかやってやる!」などと追い詰められた心理状態になっているのでしょう。そしてその心理状態が限界に達した時、爆発するのです。いわゆる、「キレる」のです。キレるだけですから、病気ではありません。従って、精神鑑定にもひっかかりません。
「普通の人間が、大量殺人という大それた犯罪を犯す」
これほど恐ろしいことがあるでしょうか。
理由が明確な殺人事件であれば、その理由の原因を究明すれば、事件は減少する可能性があります。また、被害者も納得(??)がいきます。あるいは犯人が精神病や薬物中毒の場合でも、同じことがいえるでしょう。
しかし、一見普通に見える人間が明確な理由もなく突然大量殺人を行うとすれば、対応策がありません。学者などは、家庭との断絶・友人との断絶・社会との断絶などともっともらしい原因を挙げます。その程度の分析で、犯罪を減らすことにつながるのでしょうか。
大量殺人の原因には、日本の社会の浮沈にかかわる重大な問題が潜んでいると思います。
従って、この重大な問題についてこれから数十回にわたって、取り上げていきたいと思います。平日だけの記載になりますが、どうどよろしくお付き合いください。(つづく)