2008年12月2日火曜日

11.辻井喬=堤清二

いま読売新聞に毎週土曜日、「叙情と闘争」という連載があります。作家の辻井喬(西友の堤清二元社長)の回顧録です。過日、このような文章があったので、抜粋して引用させていただきます。
「1960年代から70年代にかけて、経済界の主流を形成していた経営者の多くは、敗戦で先輩が公職追放などの措置にあい、第一線を退いたあと四十歳代で急に経営者の座についた人たちだった。井深大、岩佐凱実(よしざね)、藤井丙午、。(中略) 彼らはいずれも日本が連合軍に無条件降伏したとき、三十代後半から四十代前半の年齢であり、大きな支店の支店長かエリートコースの課長あるいは部長というポストにいた。先輩たちが公職追放などで、企業を離れなければならなくなった時、彼らはまだ充分に若く、経営革新に乗り出すエネルギーを持っていた。僕は敗戦後の日本経済の躍進の大きな要因のひとつに、経済外的な条件の変化がもたらしたものであるが、指導層が一斉に若返ったことがあると思う。この、『一斉に』というところが実に大切なのだ。というのは、個々の企業が若返っても、社会のシステムが若返っていないと、若さが貫徹しないからである・・・・・」
戦後の日本経済の急発展の原因が、指導層の若返りにあったとする見解です。確かに戦後日本の経済発展の原因は、日本人の勤勉さや優秀性という意見が大勢を占めます。ところが、辻井氏は若さにあったといっているのです。敗戦という外的な原因ではあったが、若返りが驚異的な経済発展につながったという意見は、傾聴に値すると思います。
この文章の少しあとの部分に、次のような話が出てきます。電力の鬼と呼ばれた松永安左ェ門と、辻井氏が面談していた時の寓話です。
「『ちょっと失礼』といって座をはずして間もなく、松永の破れ鐘(われがね)のような怒鳴り声が聞こえてきた。『君は名誉でわしを釣る気できたのか。そんな卑しい根性の大学には一切寄付はせん。失敬な。帰れ、帰りなさい』と言っているのだ。どうやらどこかの大学の理事長か専務理事が寄付を頼みにきて、つい、これに応募してくれると名誉博士に、というようなことをいったのらしい(原文どおり)。 (中略)やがて戻ってきた彼は、『老人になって醜いのは物欲と名誉欲だ。見下げ果てた奴だ』と、まだ怒っていた」
この部分で感心したのは、老人になって醜いのは物欲と名誉欲だといった松永の名言です。確かに欲望丸出しの年寄ほど、醜い存在はありません。

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