2008年12月18日木曜日

23.日本人の死生観ーその2

私が高校時代まで住んでいた、西宮のことを振り返ってみたいと思います。つまり、半世紀ほど前の地方都市の状況です。
(動物の場合)
ツバメが一杯いました。雨が降りそうになると、えさの蚊などの虫を食べるために低く飛んでいるのをよく見かけました。夕方になると、蝙蝠(こうもり)が無数に飛び回っていました。近くの小さい川には、フナ・どじょう・めだかなどが一杯いました。夏が近づくと、蛍が川原の草の上でたくさん光っていました。秋が近づくと赤とんぼの群れが、夕日の中で空中停止しているのが見えました。
(女性の場合)
年寄りの女性は、道で前から男が近づいてくると脇によけました。男尊女卑の時代に育ったせいで、男性が怖くて脇によけていたのか、単に謙虚だったのかは分かりません。
今はそんな女性は一人もおりません。逆に、男性を押しのけるように歩いている女性が増えています。
厚化粧している女は、クロウトとすぐに分かりました。普通の女性は化粧をしないか、しても薄化粧でした。今の若い女の子の厚化粧を、当時の目で見ていると全員がクロウトということになります。ともかくあの当時の女性(特に年寄)は、謙虚な素人ばかりでした。
(自然環境の場合)
年中、星がたくさん見えました。
今は汚くなっている香枦園浜では、泳いでいると底の砂地にテンコチやキスの姿が見えました。鳴尾浜から芦屋浜まで、ほぼ全域砂浜でした。(今津港と西宮港は除く) 阪神電車の駅でいうと、10駅分です。
冬になると道路に氷が張りました。でこぼこの土の道が多く、水溜りがよく凍っていました。
小学校へ登校すると、頭から湯気を出している同級生の男の子がいました。帽子をかぶって、遠くの方から走って登校してきたので、寒い教室で帽子を取ると頭から湯気が立ったのです。
阪神電車西宮駅近辺では、柳の木が多かったのを覚えています。柳の木は色街に、桃の木と一緒によく植えられました。ここから花柳界という言葉が生まれたそうです。(本題と関係のない話になってしまいました)
朝顔の花を方々で見かけた記憶があります。何のために植えられていたのか、いまだによく分かりませんが。(明日につづく)

0 件のコメント: