2009年8月14日金曜日

今年の阪神が弱い理由

久しぶりに投稿します。
というのは昨夜阪神ー中日戦をテレビで見ていて、今年の阪神が弱い理由がようやく分かったからです。結論から言います。昨日圧倒的に試合を有利に進めていた阪神が、最終的にボロ負けした原因はすべて真弓監督にあります。6回表まで阪神の久保投手は、今年一番といっていいほど好投していました。それに引き換え中日の朝倉投手は、今年の前半戦の活躍から考えて信じられないほどのフラフラ投球でした。そして6回裏。コントロールが定まらない朝倉投手は、なんと3個も四球を与えてしまったのです。二死満塁。ここで得点すれば、試合は決まります。この試合の勝負どころです。ところが真弓監督は勝負に出なかったのです。勝負事で勝負時に勝負しなかったら、勝てるわけがありません。あそこは狩野捕手に替えて、代打の切り札桧山を出すのが勝負師というものです。その理由は、勝負どころでかさにかかった攻撃で相手を徹底的にたたくのが勝負というものだからです。勝負ですから勝ちも負けもあるでしょう。それは結果ですから、仕方ありません。しかし勝負どころで勝負をしない大将の下で、兵は必死に戦うでしょうか。
若い狩野捕手を育てるためという考えもあるでしょう。それでは聞きます。一人の選手の将来のためにチームが破れ、士気が低下し、たくさんのファンを落胆させてもいいのでしょうか。プロ野球は、所詮娯楽です。ファンは選手を育てるのを見るために、お金を払って見に来ているのではないのです。あそこで勝負をして、スカッと試合を決める場面を味わうためにきているのです。桧山に替えたら、中日が左投手を持ってくるかもしれません。でも、そんなことはどうでもいいことなのです。「大将が勝負に出たな」、とベンチ全員が感じることが大事なのです。ベンチの選手全員が、ピリッと緊張することが大事なのです。そこから一体感が生まれ、ムードがよくなるのです。真弓監督はそこのところが分かっていません。岡田前監督は、そこのところをよくわきまえていました。そこが去年と今年の大きな違いです。今年の阪神の試合振りを見ていると(自慢じゃありませんが、ほとんど全試合を見ています)、何か迫力に欠けたものが感じられていました。ビッグイニングがほとんどなかったのもその一つです。また6回以降も先発投手を続投させて失点する場面も、数多く見ました。ビッグイニングがないのは、ベンチがお祭りモードになっていないからだと思います。作戦が、慎重すぎるのです。選手交代も後手後手に回っているように感じます。2割そこそこの新井を先発からはずすとか、平野に便利屋をやめさせて2塁に固定させ他の選手の競争心をあおるなどの発想がありません。すべてに慎重で、優等生的なのです。試合後の真弓監督のインタビューでも、まだこんなことをいっていました。「久保は7回先頭打者にホームランを打たれてから調子がおかしくなった。それまでは非常によかったのに」 (新聞ネタです。直接聞いたわけではありません)
負け試合を久保投手の所為にしています。分かっていません。敗因は自分にあったという事が。プロですから、選手の力の差はそう極端に開いておりません。6位の横浜が1位の巨人に勝つこともあります。ドラフト制が導入されてからは、V9などということは起こりえません。各チームの実力差は、それほど開いてはいないのです。紙一重といってもいいでしょう。それではなぜこれほどのゲーム差が生じるのでしょうか。私は大将の責任だと思います。戦場で兵を育てるのではなく、一つ一つの戦闘に指揮官が先頭にたって戦う姿勢を示すことです。兵は自然に育っていきます。そういえば、真弓監督はベンチで笑いすぎです。ムードを暗くさせないよう、無理に笑顔を作っているのでしょう。しかし笑っていられるような試合は、今年は2試合くらいしかありませんでした。笑っている本人もうれしくて笑っているのではなく、作り笑いですから楽しいはずがありません。麻生総理の作り笑いと同じです。
ともかく選手たちが求めているのは、監督の毅然とした決断力です。勝負どころで勝負をかける迫力ある勇猛心です。監督にこの部分が欠如しているから、金本や赤星に負担がかかり彼ら自身の悪い結果
につながっているのです。監督が勝負というものの本質を理解できないのであれば、来年も全く期待はできません。どんなにいい選手を入れても、勝てるわけがありません。阪神フロントは、ここのところに早く気づくべきです。そうしないと来年もBクラス入りが決定的です。(実は昨夜中日7回攻撃終了後に腹が立ってお風呂に入り、その後の試合は見ておりません)        

2009年2月26日木曜日

59.年寄の責任の取り方

ともかく高齢化社会が、若者たちを苦しめていることは明らかです。だから政治は、年寄にその責任を取らせるべきです。責任の取らせ方は三つ、まず、これ以上年寄向けの税金投入を拒否させることです。次に早急に、生前贈与を行わせることです。最後に延命治療を拒否して、尊厳死を迎えられるよう準備をさせておくことです。
長生きができたことに感謝し、国からお金はもらわず、自分の金は早く相続する。じたばたせずに適当なところで、この世とおさらばするという空気にするのです。そうすれば、平均寿命は下がります。平均寿命が下がるということは、悪いことではなくてよいことなのです。日本の景気はよくなり、若者たちは生きがいを見つけることができるようになります。
年をとってからでも、国に貢献できるのです。虎は死んで皮を残すといいます。年寄も死ぬ前に資産を相続させ、早めに死んで年金や医療費を受け取らぬことです。虎の皮に相当する価値ある死に方です。これこそ最も喜ばれる尊厳死であり、充足した人生なのです。
とりあえずこのテーマに関しては、今日で筆をおくことにします。何か書きたいことがあれば、その都度投稿したいと思います。

2009年2月25日水曜日

58.隠居のすすめ

昨日、隠居という言葉が出てきました。
そう、昔は隠居という言葉があったのです。今はほとんど死語となりましたが、隠居とは隠れ住むことです。昔の年寄は、そのことをわきまえていたのです。
ところが質の低下した今の年寄は、隠居しません。しかし、いつまでも年寄がでしゃばっていては、若者に出番がありません。一流の会社であれば、年をとった社長から世代交代するルールが出来上がっています。しかし国民一人一人には、世代交代するルールやシステムがありません。本人がでしゃばっていたければ、年寄という権威と金があるのですから、いつまでもそうしていられるわけです。これでは若い人に、チャンスは廻ってきません。
社会の活力の源は、スポーツ界を見れば分かるように、若い力が年寄を押しのけていくことです。それが自然の理というものです。だから当たり前の状態にするために、若者は立ち上がるべきです。どのようにして立ち上がるか? それは年寄が隠居する気持ちになるような、政治の仕組みを作り上げることです。お金の面でいえば、年寄から若者に流れを政治的に変えることです。心理面で言えば、老醜のPRキャンペーンや老害問題を徹底的に取り上げることです。お金や権力を、年寄から若者へシフトする政治を目指すのです。政治を変えるには、政党を作ることです。皆で立ち上がって、政党を作りましょう。政党の名は、若者党です。(明日につづく)

2009年2月24日火曜日

57.逆年金

高齢化社会は、年寄よりも若者により大きな影響を与えています。のっぺりと間延びした生命を前にした若者たち。自分の前に立ちはだかる長い人生。負け組の若者たちにとって、人生とは辛く厳しいものでしかありません。そこから逃れる方法はないと知っているから、計画的にキレて見たりするのです。怒りや不満をぶつける相手が不明なまま、誰でもいいからナイフを切りつけるのです。
これは冗談半分ですが、逆年金というのはいかがでしょうか。年金をたくさんもらって余っている年寄や大金持ちの年寄から原資を頂戴して、ワーキングプアの若者たちの年金助成に回すのです。公的年金支給停止制度を、一歩進めるのです。少しは格差の解消になるのではないでしょうか。また、キレる若者も少しは減るのではないでしょうか。
もう一つ、選挙権の放棄というのはどうでしょう。75歳以上は選挙権がなくなるというと、物議をかもしますから、選挙権を返上できる、つまり放棄しても構わないようにするのです。謙譲の美徳のある年寄は、自分は隠居して世の中のことは若者たちに任せようと考えるでしょう。(明日につづく)

2009年2月20日金曜日

56.内戦の予備軍兵士

ワーキングプアが増えています。今、満足に飯が食えない上、将来の展望は何もない若者たちが増えているのです。このような若者たちの中には、キレる人間が混じっています。これが内戦の予備軍兵士です。
脳の成長期にテレビゲーム漬けになると、反射神経やカッとなりやすい感情的反応の神経ばかりが発達してしまいます。逆に、人間として大事な自制心・判断力・創造性が欠如します。いわゆるゲーム脳です。彼らは何らかの拍子に、突然キレます。理由もなければ目的もなく、やけくそになって暴れまわるのです。当然のことながら、暴力や殺人の直接の責任は彼らにあります。だから、彼らを取り締まるしかないのでしょうか。
私が言いたいのは、このまま何もせずに日本は、団塊の世代を加えた超長寿社会を迎えていいのかということです。間延びした生命の中で、広がる若者と年寄の格差。派遣社員と正社員の格差は、法改正である程度うずめることが可能だと思います。しかし、若者と年寄の差は開く一方です。しかも皆、この格差こそが最大の問題点であることに気づいていません。
現在の日本の国の究極の課題は、この若者と年寄の格差是正です。特に政治家の方には、早くこのことに気づいてもらいたいと思います。(来週につづく)

2009年2月18日水曜日

55.派遣社員

以前、派遣社員の心根に触れた経験があります。専門職の女性派遣社員4人の机と、2メートルほど離れた場所に、部署は違いましたが1年間ほど座っていたことがあります。彼女たちは優秀で、学歴も正社員より上のようでした。男性課長よりも優秀なのは、誰が見てもすぐに分かりました。仕事も手際よく英語がしゃべれるので、外国人から電話がかかってきてもうまくこなしていました。正社員は、外国人からの電話には逃げ回っていました。そんな彼女たちですから、正社員に対する不平等感を持っています。給料・休暇・契約期間など、正社員とは雲泥の差です。一番のコンプレックスは、契約期間がきたらよほどのことがないかぎり、クビになってしまうことです。その4人の派遣社員が座っている付近は、独特の雰囲気がありました。拗ねているというか、諦めというか、そんな態度や会話が鼻につくのです。ちょっとした点数の差か、何らかの偶然で正社員になれず、やむなく派遣会社に登録している無念さやあきらめの混ざった感じが伝わってきます。作業中心の製造業の派遣社員とは違い、サービス業においてはこのような微妙な空気が流れているのです。多くの会社の中に今、これと同じような空間がたくさんできていると思うのです。
彼女たちはまだましです。少なくとも2年間の契約期間は、致命的なミスがないかぎり仕事にありつけるからです。悲惨なのが日雇い派遣です。明日仕事があるのかないのか、あればどんな仕事で場所はどこなのか、連絡があるまで分からないのです。まじめな人ほど、恐怖の生活を送ることになります。仕事が少ない時は、食事の回数を減らすそうです。まさに江戸時代の飢饉のときの、水呑百姓のようではありませんか。(明後日につづく)

2009年2月17日火曜日

54.間延びした人生

人生は若者から見れば非常に長い未来ですが、年寄から見れば非常に短い過去です。ほとんどの年寄は長生きしても、長生きしたとは思っていません。西鶴や芭蕉のように、「50年も生きたのだから、もうこれで充分だ」と考える人は少ないのです。短命の時代では、西鶴や芭蕉のように人生五十年と覚悟して生きました。しかし今は、医療・食糧・衛生など飛躍的によくなっています。過去類例を見ない長寿社会を迎えたのです。団塊の世代が60歳代となり、やがて年寄の仲間入りをします。ますます年寄の数が増えるのです。植島教授ではありませんが、人生がのっぺりと間延びしたものに変わっています。間延びした生命は、年寄だけのことではありません。若者にとっても、気の遠くなるような間延びした長い人生が待ち受けているのです。年寄はふと気づいたら、年をとっていたと感じます。しかし若者は反対です。死の告知の逆で、これからの長い生命を告知されているようなものなのです。
間延びとは、時の価値が下がることを意味します。若者の生きている時間の価値が、下がっているのです。特にいわゆる負け組の若者たちにとって、人生はどれほど辛く苦しいものでしょうか。現在の辛くて苦しい人生の延長線上には、明るいものが何も見えてこないのです。あと半世紀以上も生きなければならないというのに、お金や生活の不安しか見えてこないのです。結婚するなどといったことは、不安で考えることもできません。(明日につづく)

2009年2月16日月曜日

53.公的年金支給停止制度

取れるものは取る、少しでも権利があれば要求する、というのは従来の日本人になかった思想です。
2007年4月に創設された、「公的年金支給停止制度」をご存知でしょうか。これは、公的年金を申し出れば辞退できるという制度です。創設から1年以上経過した2008年8月現在、辞退を申し出た人は全国でたったの150人だと発表されました。年金(厚生+国民)受給者数5300万人で割ると、0.00000283%です。283000人に1人しか辞退しないのです。一つの県で2~3人しか辞退しないという状況なのです。金は持っているくせに、強欲な年寄が多いのです。
アリストテレスの指摘が、現代日本でも見事に的中しています。老人はけちでエゴイストなのです。よく金はあっても、邪魔にならないといいます。老人はそのフレーズを活用して、言い訳にしています。
しかし、敢えて言わせていただきたい。「金は自分の本分以上に持つと、邪魔になる」と。使うすべもないほど年金をもらっていて、毎月(年金の場合は2ヶ月に1度)貯金が増えていく年寄がたくさんおります。一方で、お金がまわってこなくて困っている若い人たちが、たくさんいるのです。そういうことに思いをいたすことができず、ただ利己的かつ鈍感に生きているだけということでは、浄土や天国にはいけないでしょう。金は自分の本分以上に持つと、邪魔なのです。
必要でないものは取らない、権利があっても人の道に反すると思えば要求しないというのが、本来の日本人です。今、教育に求められているのは、この点ではないでしょうか。「権利があっても主張しない理由」を考えさせる教育です。それを、模範となるべき年寄が、ぶち壊しているのが現状です。(明日につづく)

2009年2月13日金曜日

52.謙虚な年寄

昨日の社長以外に10人ほど、戦争生き残りの人たちと話したことがあります。あの社長と違って、皆に共通するのは、自分だけが生き残ってきたという、「後ろめたさ」のような空気を感じたことです。悪い言葉で言えば、男のずるさを感じました。
戦争で苦労をして、生きて帰ってきた方々に対して、悪口を言うつもりは毛頭ありません。ただ純粋な気持ちと勇気を持った人たちのほとんどが、一番乗りをして死んでいったことを忘れてはならないと考えるのです。そして生き残った方々は、戦友の冥福を祈りつつ謙虚に老後を迎えていただきたいと思うのです。余計なお世話だといわれるかもしれませんが、最近やたらと悪くてずるい年寄を見かけるので、ついこの話をしてしまいました。
戦後、権利の主張は当たり前になりましたが、その反対に義務の履行がおろそかになっています。自己責任といってもいいのですが、なんでも国に頼らずに自分で生きていくという考え方が重要です。国民一人一人が国の集めた税金を取り合うのではなく、我慢できるのであれば、謙虚に辞退するという姿勢が大事です。そういう甘いことを言っていると、図々しい奴に全部持っていかれるよといわれるかもしれません。それはそれで、持っていかれない方法を考えればいいわけです。私が言いたいのは、国民一人一人がもっと謙虚になって欲しいということです。先日新聞のコラムで、ある老人の意見が取り上げられていました。
「年寄は年金で若い人たちに負担をかけている。病気でさらに迷惑をかけてはいけない」
こういう心構えのお年寄も、まだおられるのです。(月曜日につづく)

2009年2月12日木曜日

51.強引な社長

大分前の話ですが、私の取引先の社長が生き残りの世代にあたる人で、長い捕虜生活の末に無事帰還されました。その社長は次々と戦友が死んでいく中で、「どんなことがあっても、生きて帰るんだ」という強い意志を貫かれたそうです。そのこと自体は、立派な行動だと思います。戦争から生きて帰ったのだから、おめでたいことです。彼は帰国後、遮二無二働いて企業を立ち上げられました。成功者です。私が問題にしたいのは、彼の人格です。
交渉ごとは、脅しあり賺し(すかし)あり。強引に、何が何でも自分の思い通りに進めるのです。相手の立場など眼中になく(実は相手をよく観察しているのですが)、ただひたすら自分のために交渉を進めるのです。たいていの交渉相手は、屈服するか逃げ出してしまいました。私はこの人を見ていて、金は腐るほど稼いだけれども、それと反対になくしていったものがあることに気づきました。なくしていったものとは、人間の品性です。
彼にとって一番大事なのは自分であり、二番目は家族。他人の中では、自分の商売に協力してくれる人だけ仲間にしてくれます。彼の価値観は、金や名誉だけです。ともに戦って死んでいった戦友やその家族のことなど、胸中に一瞬でも去来することはあったかもしれません。しかし、それは過去のことであり、大事なのは現在の自分のことなのです。
私はこの社長を見て、戦争で生き残るということは生易しいことではないと思いました。戦争で生き残って帰ってきたという経験が、その後の人生に大きな影響を与え続けたことは間違いありません。そしてこの社長の場合は、その経験がなりふり構わぬ商売のやり方につながっていったものだと考えられます。(明日につづく)

2009年2月10日火曜日

50.一番乗り

醜い老人が増えている一方で、ずるい老人も増加しています。偏見かもしれませんが、太平洋戦争の生き残りの80代の男性に多いような気がしています。
「戦友の遺骨を抱いて」という軍歌があります。
一番乗りをやるんだと~   力んで死んだ戦友の~  遺骨を抱いていま入る~  シンガポールの街の朝~
敵陣に一番乗りをかければ、撃ち殺される確率は限りなく高いはずです。お国のためと思って純粋な気持ちで真っ先に突っ込んで兵たちは、ほとんど死んでしまったと思います。何度もの突撃で、常に一番乗りを目指していれば、命がいくつあっても足りません。映画、「コンバット」のサンダース軍曹のような兵隊は、実際には存在しなかったと見るべきでしょう。
ともかく、生き残った人たちには申し訳ないですが、一番乗りのような行動をとらなかったから生き残ったのではないと思うのですが、いかがでしょう。生き残ったことが、悪いと責めているのではありません。逆に生き残りという選択肢も、当然あっていいとは思います。私が言いたいのは、体を張って先頭にたたなかったから、生き残ったという事実です。(明後日につづく)

2009年2月9日月曜日

49.菩薩のような年寄

私が中高生くらいの時までは、確かに菩薩のようなお年寄がおられました。
勉強のできない孫が親に叱られても、「勉強ができなかった子のほうが、大人になったら偉くなるから心配はいらないよ」といってくれるおばあちゃんがいました。学校の門番をしていた守衛のおじいさんは、生徒が学校から帰るときには最敬礼をして見送ってくれました。心が広くて清らかなお年寄が、たくさんおられました。
それに比べて、現在の年寄の品のなさにはあきれます。もちろん年寄の一部ではありますが、昔はいなかったタイプの品のなさです。騒音おばさんやゴミ屋敷じいさんなど、常識では考えられない年寄が出現しています。他人に対する思いやりとか迷惑をかけないという心配りが、全く欠如している人たちです。
醜い老人が増えています。(明日につづく)

2009年2月6日金曜日

48.醜い老人

30年ほど前、消費者への還元セールで、お年寄を劇場に無料招待したことがありました。朝早くから長蛇の列となりました。夏のことで、列の後ろの方のお年寄たちは、直接太陽光にされされました。その時に、一人のおばあさんが叫んだのです。
「年寄を殺す気かあ~!! 」
もう少し他に、ものの言いようがあるのではないでしょうか。暑いから早めに入場させて欲しいとか、日傘のない人だけ建物の陰に移動させて欲しいとかいわれるのなら分かります。しかし、無料で招待されておきながら、「殺す気かあ~」はない、と思いました。結局早めに場内に誘導したのですが、あの時の品のない言葉はいまだに忘れません。暑くても我慢するか、我慢ができなければ上記のようなお願いをすればいいのです。あの頃から品のない年寄が、出現し始めたように思います。
私がもっと若い頃には、菩薩のような年寄がおられました。(来週につづく)

2009年2月5日木曜日

47.補助金

J・F・ケネディ米元大統領の有名な演説があります。
「国がわれわれに対して何をしてくれるかではなく、われわれが国に対して何ができるか・・・・・」

そう、国に期待しないことです。去年石油が値上がりした時に、漁業が大打撃を受けました。全国規模で、漁船が休漁しました。漁船の水揚げでは石油代をカバーできず、赤字操業になるからです。そこで、政府に対して補助金を出すようにという声が出てきました。このままでは、日本の漁業人口は激減し、立ち直れなくなるというのが主な理由でした。
しかし、待ってもらいたい。赤字になるのなら、魚の値段を上げればいいのです。ところが、複雑な流通機構のせいで、値上げできないというわけです。しかし、値上げができないのは業界の問題であって、それを放っておいて、国に税金の一部をよこせというのは筋違いです。困ったらすぐに業界ぐるみで、国にお金をせびる体質は、国民の理解を得られません。まず赤字を出さないように、魚の値段を上げることです。セリだから、勝手に値段を上げられない? その場合は、損益の最低価格を決めてそれ以下なら売らないことです。そのようにして市場でつけられた価格が、消費者に受け入れられればそれでとりあえず解決です。受け入れられなければ、そのときに対策を考えればいいのです。努力もせずに、補助金に頼るというのは感心しません。相場が動いて石油価格が下落した現在、「補助金をよこせ!」という声は鳴りを潜めました。あの叫びは一体、何だったのでしょうか。(明日につづく)

2009年2月4日水曜日

46.公正な議論

よく大声で、「戦争は絶対にいけない、無条件でやめるべきだ」と叫んでいる人々がいるが、彼らがいくら叫んでも戦争はなくなりません。観念的に、「〇〇はダメ」と決め打ちしてしまうのは、単なる感情論です。そのような人は内戦が起きているアフリカに出かけていって、「戦争はダメよ」などというプラカードを担いで、戦争反対を訴えてみてはどうでしょうか。撃ち殺されるのがオチです。
戦争がよくないことは、誰でも分かっています。戦争はよくないが、それを前提とせず、「どうすれば戦争を避けられるのか」という議論をするのが大人のやり方です。中には、避けて通れない戦争というものも考えられるはず、といった意見も出るかもしれません。そういう意見も言わせたうえでの議論でなければならないと思うのです。頭から戦争反対だけを前提にした議論は、偏っています。
「年寄を大事にしなくてはいけない」も同じことです。無条件かつ観念的に、年寄が大事な存在だと決めてかかるのは感情論です。私も、年寄を大事にするのは当たり前という教育を受けてきました。だから年寄を大事にするのは当たり前、という前提に立ちそうになることがありました。しかし冷静に考えれば、年寄以外の、たとえば赤ちゃんは大事にしなくてもいいのかとか、手がつけられないほどたちの悪い年寄を大事にする必要があるのかといった疑問が残ります。やはり年寄も含めて、人間皆が大事だということでしょう。その前提に立って、「年寄を大事にするということは、具体的にどのようなことを指すのか」という議論をするべきだと思います。そうすれば当然、大事にしなくてもいい年寄だとか、年寄を大事にしなくてもいい場合などという概念も生まれてくるはずです。なにがなんでも、「ダメなものはダメ」式の発想では、話し合いになりません。
考え方の土台に価値観の共通部分を残しながら、あらゆる可能性を追求していく姿勢を持つことが、公正な話し合いです。時代とともに、年寄の概念も変化していくはずです。今までの固定観念を捨てて、年寄をどう扱うかについて、国を挙げての議論をするべき時期に来ています。(明日につづく)

2009年2月3日火曜日

45.新聞社の提言

去年6月16日付読売新聞に新聞社の提言として、「人口減・超高齢社会にふさわしい年金制度はどうあるべきか」という記事がありました。朝日・日経・読売の専門記者の座談会の記事です。どの記者の意見も同じようなものでした。基礎年金は税方式に移行するのか、現行の社会保険方式を維持するのか。現行維持の場合は、非正規労働者の厚生年金加入促進を強化するべきだとか、税方式に移行するまでの間は旧制度と並存させるのがいいとか・・・・・。
これでは官庁と同じ発想です。官庁の取材が長すぎて、官僚病が記者に移ってしまったのでしょうか。
私の意見はこうです。年金にこれ以上予算を突っ込まないことです。現状の予算は、年とともに減っていきます。労働人口が減少するからです。予算が減ったからといって、お金を補給してもキリがありません。受給者の数と納付者の数が、違いすぎるからです。解決方法は、年金額を減少するしかないのです。
ところが、予算の減少に伴って年金を減らすなどという発想は、官庁にはありません。そんなことをすれば、非難されるだけです。しかしこれは長年、怠慢で無責任な行政を放任してきたツケなのです。20年以上前から分かっていたことなのです。無為無策、または触らぬ神に祟り(たたり)なしということで、年金行政は置き去りにされてきました。その結果として、今日このような状況を迎えているのです。だから、現状を認めるしかありません。認めた上で、年金が減って餓死する人への対策とか、まだ働ける年寄に働いてもらうなどの対策をとるしかないと思うのです。もちろんこれは私個人の意見ですが、この問題一つをとっても、国論を二分するのではないでしょうか。何としてでも年寄の年金を確保しようとする側と、この際、私のようになるようになれではありませんが、ない袖は振れないとする側に分かれて議論するべきだと思います。前出の新聞記者のように、年金支給は当たり前で、消費税から何円取るかなどと辻褄をあわせているようではお話になりません。
「年寄をどうするのか」という根本的な姿勢を決めることが、先決ではないでしょうか。(明日につづく)

2009年2月2日月曜日

44.年金価値の減少

これからの日本が、高齢化社会になることは確定しています。
高齢化社会になると、労働人口が減少します。労働人口の減少は、生産力の低下を意味します。生産力が低下すると、モノ不足になります。モノ不足の解消には、輸入を増やすか新しい労働力を確保するしか方法がありません。しかし、これ以上輸入依存度を上げるのは危険です。自給力を上げるべきです。若年労働人口が減少する中、自給力を上げるには、海外労働者の受け入れか高齢者の雇用促進しかありません。
ともかくこのまま放っておくと、間違いなくモノ不足になります。モノ不足はインフレを招きます。物価が上がるのです。そうすると年金価値が減少します。そう、これがいいたかったのです。
高齢化社会 → 労働人口の減少 → 生産力の低下 → モノ不足 → インフレ → 年金価値の減少
こういう流れです。今予定されている年金で、生活設計できると思い込んでいると、物価の上昇という邪魔者に壊されてしまうのです。一方で少ない労働人口が、大量の年金受給者を支えるという構図は全く変わりません。このように考えると、これからの日本人の老後は真っ暗闇なのです。(明日につづく)

2009年1月30日金曜日

43.画期的な景気刺激策

新贈与のことはともかく、国の税収が減るかどうかという疑問です。答えは、「確かに当該の税収は減るが経済効果が絶大なために、それを充分にカバーしてお釣りがくる」と私は考えています。
たとえばこの制度で1年間に500兆円の資産が、若い世代に移ったと仮定します。そのうちの三分の一、約170兆円を不動産、動産、宝石、自動車などの高価格品の購入に使ったとすると、消費税はじめ取得税・売買税や小売店やメーカーの所得税・法人税まで含めると、30兆円以上の税収が見込めます。最近の相続税の歳入額は、年10兆円台の前半ですから、これだけで3年分の税収はカバーできるのです。2兆円のバラマキ交付金などは、スケールが小さすぎてお笑い種ですよね。つぎに三分の一の170兆円が、金融市場に向かったとします。株・債券・デリバティブなどに大変な好影響を与えることになり、日本国内の各時価総額は間違いなく上昇します。 大変な景気対策になります。
残りの170兆円や500兆円は、もっと劇的に日本の国を活気付けるはずです。すごいことだと思いませんか。
スイスの多くの州では、相続税が0~2%だそうです。その理由は、親が長年税金を払ってきた残りの財産に、さらに税金をかけるのはおかしいとのこと。私のアイデアと一見反対のように見えますが、二つの点で共通しています。私の相続税100%+贈与税0%のアイデアは、実質的に相続税0%だからです。ただ生前に早く相続させるために、贈与税0%とした点が少し違うだけです。もう一つに共通点は、財政が相続税に頼っていない点です。税で取り上げるよりも、子供たちに使ってもらう方を選択している点が同じです。
ともかくこのアイデアは、あくまでも考え方を示したものです。死後にしかもらえない生命保険は国のものになるとか、何歳以上からこの制度を利用できるのかとか細かいことはたくさんあります。これはあくまでも、一つの考え方なのです。相続税を100%とせずに、60%にして、贈与税を0%とせずに20%にしてもいいのです。考え方として、年寄ができるかぎり早く若者に資産を渡すようにしたいのです。(月曜日につづく)

2009年1月29日木曜日

42.新贈与

現実問題としてこのアイデアでは、国の税収(相続税や贈与税など)が激減するのではないかという疑念が起こることでしょう。
今の日本は、相続税の累進性と贈与税にがんじがらめにされています。それでも、数年前から税制が改善されました。いわゆる新贈与というものです。生前に贈与すると2000万円を控除でき、それ以上の額については当座20%の相続税を納めればいいという内容です。少しではありますが、進歩しました。しかしこれも実際の相続が行われる時、つまり親が死んだ時には、本来の相続税との差額を支払わねばなりません。国への支払額は同じなのです。支払わなければならない税金は同じだけれども、早めに相続できるというのがこの法律のメリットです。
長寿社会の危機について、政治家や官僚が少しだけ目覚め始めている兆候でしょうか。(明日につづく)

2009年1月28日水曜日

41.取って置きのアイデア

取って置きのアイデアです。1000兆円にも及ぶ65歳以上の年寄の資産を、若者にシフトする方法です。大雑把な言い方になりますが、こういうことです。

「相続税を100%にして、贈与税を無税にする」

かなり大胆な案です。
ここは細かいことに捉われずに、考え方としてこのような表現を使いました。まず相続税を100%にするとどうなるか。死ぬまで財産をもっていたら、全部国庫に持っていかれます。早く財産を手放さないと、子供に残してやれません。子供も親に、早く手放すように勧めるでしょう。そこに渡りに船。贈与税は無税です。
親が財産を死ぬまで持っていたら全部国に没収、死ぬ前に相続したら贈与税はかからないということです。親の財産は、100%子供のものになるという制度です。すばらしいアイデアだと思いませんか。
それでも、財産を放さない親はいると思います。財産を放したくないという気持ちや欲望が強すぎて、単純な計算ができなくなっているのです。こんな強欲な年寄は、例外ですから放っておきましょう。ほとんどの年寄は頃合いを見て、生前贈与の手続きに入るでしょう。もちろん子供には公正証書で、死ぬまで面倒を見てもらう約束をします。子供も喜んで受け入れます。何しろ親の財産が今、全額は入るのです。1000兆円の資産はあっという間に、年寄から若者に移ります。(明日につづく)

2009年1月27日火曜日

40.老対若

「年寄と若者」はある意味、「現在と将来」という風に考えることができます。そのように考えると、あらゆる政治問題が分かりやすくなります。前に書いた外交、消費税、官僚問題。これらを、「現在と将来」というリトマス試験紙で調べればすぐに判断ができます。政治の分かれ目がハッキリするのです。年金や老人福祉の問題なども、「年寄か? 若者か?」という基準で考えれば、容易に答えが見えてきます。
一見この基準とは関係ないと思われる政治問題についても、判断がしやすくなります。東京オリンピック招致、裁判員制度、外交。外交でも竹島や毒ギョーザ対中問題などは即座に判断できます。グルジアの南オセチアや北アイルランド紛争など、日本と関係の薄い外交問題についても、目先か将来かいずれが国益につながるかと考えれば論議しやすいでしょう。先送りするのか、今すぐ対応するのか、折衷案を許さずどちらか一方を選択するようにするのです。
「年寄党」と、「若者党」の二大政党がこのように主張をハッキリさせれば、国民が政治を理解しやすくなります。政治に興味を持ちます。だから国民の政治的無関心も改善されます。現在の自民党、民主党の最大の関心事である無関心層。いわゆる政治的無関心層は減ります。無関心層の動向で選挙結果が変わるなどという、馬鹿げた状況から脱却できるのです。また、投票する無関心層は、政治にまだ関心があるといえます。本当の無関心層とは、政治に何の期待も抱いていない人々です。特に若者が多いと思います。これらの若者が政治に関心を持てば、1500~2000万票掘り起こせるのです。彼らが期待感を持てば、投票所に行くはずです。
このように、「老」対、「若」という普遍性を持ったテーマを政治判断の基準とすることは、低迷する日本の政治状況を劇的に変化させるキーなのです。(明日につづく)

2009年1月26日月曜日

39.二大政党

仮に、「年寄党」と、「若者党」の二大政党に分けたとします。「年寄党」は、当然のことながら年寄を大事にする政策を訴えます。保守政党です。自民党員は他の党よりも年寄が多いから、「年寄党」に流れる政治家が増えるものと思われます。共産党や社民党も、日ごろ弱者の味方といっていますから、「年寄党」に入党するかもしれません。まさに、呉越同舟ですね。
財政再建や日本の将来を重視するのが、「若者党」です。公共事業はいうに及ばず、福祉や年金を削減してでも、日本の将来を担う人たちを優先する政党です。年寄党が保守的なのに対し、こちらは革新的です。
この二大政党に分けて、政界再編を断行するべきだと考えます。国民には非常に分かりやすい対決になります。「年寄か? 若者か?」 人間の存在の根源を問う論争になること、必至です。
年寄が全員、「年寄党」を支持するとは限りません。年寄の中には、「自分たちの面倒を見るよりも、若い人たちを大事にしてやって欲しい」といった考えの人もいることでしょう。反対に若者の中には、「自分たちを生み、育ててくださった年寄の方々を、いつまでも大事にしてあげてください」と主張する人もいることでしょう。このあたりのところが重要です。私が最も主張したいことの一つは、この謙譲の精神なのです。今、古来より受け継がれてきた日本人の道徳観が、壊れつつあります。公徳心などという言葉は、もはや死語同然です。年長者に対する畏敬の念も、廃れてきています。このままでは日本人が、どこに向かって進んでいくのかわからなくなってしまいます。政治や経済の混迷も大きな原因です。政治家や社会のリーダーたちの生き様も、国民を納得させていません。
いまこそ、「日本人はいかにあるべきか」という大事な命題を、真正面から論議するべきです。論議するべきだと私が騒いでも、誰も論議などしません。論議せざるを得ない状況を作り出すことです。それには国を二分する大命題、「年寄か? 若者か?」 をめぐって、二大政党制にすればよいのです。「年寄党「と、「若者党」の二大政党です。(明日につづく)

2009年1月23日金曜日

38.阪神タイガース1万回優勝

年寄対若者のせめぎあいというのは、人類にとって永遠のテーマです。人類が地上に出現して以来、人間は子供を生んで育ててきました。育った子供は大人になり、孫を作ります。そして自分は年をとり、死んでいくのです。人生という限られた時間の中で、若者は子供を作りやがては年寄となって死んでいくのです。この繰り返しの結果、現在のわれわれの存在があるのです。
死んでいく年寄を優先するのか、これからの時代を担う若者を優先するのか、この一点で二大政党に分かれて戦うべきです。これが私の主張です。
お金が年寄から若者にシフトすると、いろいろな効果が見えてきます。先日書いたように、お金がそれを使える年代の人たちに移ることによって、劇的な経済効果を生み出すことでしょう。景気は絶対によくなります。何しろ眠っている1000兆円の金が、世の中に出回ることになるのですから。
阪神タイガースが優勝すると、1000億円の経済効果があるという試算があります。1000兆円ということは、阪神タイガースが1万回優勝するのと同じ経済効果なのです。タイガースが毎年優勝したと仮定しても、1万年かかる経済効果が、ほんのわずかな期間で可能になるのです。
これが実現すると、若者の教育費にもっとお金がかけられます。すぐにお金にならない数学や物理学などの基礎研究や、哲学・芸術分野などに取り組む若者が増加します。ノーベル賞の受賞者は、もっと増えるのではないでしょうか。(来週月曜日につづく)

2009年1月9日金曜日

37.二重行政

行政の無駄遣いは、莫大な金額になります。
定年間j近の官僚に、ポストと給料を与えるために作られた特殊法人。これには税金が、毎年何十兆円も投入されてきました。もちろん必要とされる組織もあるでしょうが、不要なものも一杯あります。一般職の国家公務員33万人のうち20万人は、地方に張り付いています。いわゆる二重行政です。民主党の長妻議員は、国家公務員33万人のうち10万人はいらないといっています。先日の新聞を見ても、政府の地方分権推進委員会が、見直し対象としている出先機関の国家公務員の数は9万6千人、執行する予算規模は10兆円だとありました。
でも、10万人の首を切ることが、実際にできるのでしょうか。自民・民主どちらの党なら実現できるのでしょうか。たぶん、どちらも無理です。なぜなら、官僚の首を切ることが国論を二分するような問題とはならないからです。自民・民主と霞ヶ関との間で、国民不在の不毛の論議が繰り返されるのがオチです。だから、官僚問題も政治の分かれ目とはなりにくいと考えています。
私は、政治の分かれ目になれるものは、「年寄対若者」問題しかないと思っています。なぜならこの問題は、若者から年寄まで日本人全員に関係するからです。
・年寄を大事にする政治か、年寄から若者に重点を移す政治か
・このまま、財政赤字を増やしていくのか、ある程度、弱者(年寄)に泣いてもらうのか
・豊かな年寄と貧しい若者の格差解消による不平等感の一掃
等など、争点はたくさんあります。年寄に対して使われている膨大な予算を、若者にシフトするかどうか。この一点だけでも、大論争となること必定です。日本の国を二分する、政治の分かれ目となること請け合いだと思いませんか。(2週間ほど休みます。23日につづく)

2009年1月8日木曜日

36.自民党と民主党

自民党と民主党が、政策論争をしています。私は、どちらの党がより国民の味方なのかよく分かりません。たぶん両者とも、国民の味方なのでしょう。年金、雇用、景気対策、どれ一つとっても、論点がよく分からないのです。よく似ているのです。だから目隠しをされて、両党のマニュフェストを述べられても、どちらの党のものか見当がつきません。それほど分かりにくいのです。
今の日本の国にとって、政治の分かれ目をハッキリさせるということは最も重要なことです。そして政治の分かれ目となる政策は、国民が判断しやすいものにするべきです。
たとえば外交。ソマリア沖に海上自衛隊を派遣するかどうかでは、国際世論の方向を向くか向かないかの違いだけであって、国民には政党の理念や政策の違いが分かりません。多少の違いはあるのでしょうが、私がいっているのは国論を二分するような議論にならないということなのです。
次に消費税。上げるか上げないかがはたして、両党の論点になるでしょうか。たぶん上げるという点では、両党とも同じなのではないでしょうか。消費税そのものに反対する社民党と共産党はマイナーなので、この際失礼ながら省略させてもらいます。上げる時期や率とか、目的税化とかが論点になるようでは、国民に両党の違いを訴えることは無理です。
次は官僚問題。公務員や予算の削減は重要なテーマです。霞ヶ関対自民党という構図の中のまま改革するか、それとも民主党に委ねるか。これも、どちらの政党が政権をとっても変わらないと思います。中国共産党に限らず、洋の東西を問わず、役人の役得や利権は不変のものです。民主党が政権をとったからといって、官僚問題に鉄槌を下すことはできないでしょう。民主主義ですから、司法・立法・行政は三権として独立しております。勇ましいことをいっても、憲法で守られた行政権を、一政党が劇的にコントロールすることなど無理です。(明日につづく)

2009年1月7日水曜日

35.年寄対若者という構図(その2)

ともかく祖父母から親、親から子へと受け継がれてきたバトンが、なかなか受け継がれなくなっているのです。長寿社会になったために、再生産や投資をしない年寄に資産が集中してしまっています。
もしも昔のように、50歳前後で相続していればどうなるか? 家の新築や増改築、車やヨット、あるいはゴルフの会員権を買うかもしれない。つまり世の中に、お金が出回るのです。1000兆円のお金が、いろいろなものを求めて動き出すのです。日銀が景気対策をやるよりも、どれほど劇的な効果が期待できるでしょうか。
仮の話ですが、年寄の平均寿命が10年ほど下がるだけで、大変な経済効果が期待できるのです。
ともかく、リッチな年寄に対して若者はプアすぎる。私はこのギャップが、大きな不平等感の原因だと考えています。高齢化社会に突入した現在、喫緊の課題はこの、「老」と、「若」のギャップを埋めることしかありません。
「長生きはめでたい」とか、「年寄は敬うべきだ」といった旧来の固定観念を見直すべきです。敬老思想というタブーに、疑問を呈さざるを得ぬ状況が発生しているのです。敬うべき人は敬うのが当然ですが、ただ生きているだけで迷惑だけかけている人をどうするのか。何が何でも敬老というのは、少しおかしいと考えなければならないと思うのです。
日本の政治家は、このことが国の将来を決する政治のツボであることを、全員が自覚するべきです。このことを俎上にあげ、問題提起している政治家は今、皆無なのではないでしょうか。(明日につづく)

2009年1月6日火曜日

34.年寄対若者という構図(その1)

国民の資産1500兆円のうちの三分の二、1000兆円は65歳以上の年寄が持っています。65歳といえば、ほとんどの人がリタイアしている年齢です。今まで何十年も仕事をしてきたのだから、貯金があるのは当然です。退職金も入っていることでしょう。年金受給資格もある。
しかし現実問題として、残りの人生に旅行か趣味のゴルフくらいしか楽しみのない年寄に、国民の資産は集中しているのです。その最大の原因は、長寿社会の到来です。女子86歳、男子79歳にまで平均寿命が延びたのです。昨日書いた、年金を使いきれずにいる夫婦などもこの範疇に入ります。
今80歳代の年寄が働き盛りだった頃は、平均寿命が70歳くらいでした。つまり、自分たちが働いていた現役時代に親が亡くなり、遺産が入ったのです。遺産が入り、しばらくしてリタイアして退職金が入り、またすぐに年金がもらえたのです。そして80歳を越えた現在、最も豊かに暮らしているのです。30年以上、年金をもらっている年寄ばかりです。
その80歳代の年寄の、息子はどうだろうか。息子は60歳を越えても、親が健在だから遺産はまだ手に入らない。家や車を購入する年齢は、すでに過ぎてしまっている。息子も年寄の仲間入りをしているが、その親である大年寄は生きている。使い道のない金や宝石類をタンスに入れて、先祖から頂いた広い家で暮らしている。
よく、借りてでもお金を増やそうとするアメリカ人、借りるよりも貸しを作ろうとする中国人、ともかく貯めるだけの日本人といわれます。今の年寄は、その日本人の典型です。お金を貯めるだけで、使おうとしません。いや、使えないのです。
その孫はといえば、30歳代です。就職に失敗したので、フリーターをやっている。親はうるさいが、結婚する気も金もない。祖父の財産も、自分が受け継ぐときには、相続税に持っていかれてほとんど期待できない。将来に対して、夢も期待も持てない状態なのです。(明日につづく)

2009年1月5日月曜日

33.豊かな年寄

若者の惨状と比べて、年寄は豊富な年金と財産、それに恵まれた医療制度や施設で悠々自適です。
そんなことはない、後期高齢者医療保険で、少ない年金から天引きされて苦しんでいるお年寄がテレビに出ていたとおっしゃる。あれは、貧乏な年寄の一例に過ぎません。全員があのような状態であるかのように、錯覚してはいけません。冷静に考えてみれば、よく分かります。テレビ局が制度に不満を持つ年寄を、探し出しているだけのことです。まさか役所から教えてもらうことはないと思うが、役所に苦情をいいにきた年寄を待ち構えていて、取材に協力してもらっているのではないでしょうか。あるいは、テレビ局に苦情を持ち込んだ年寄かもしれません。ともかく、不満のある年寄を探し出して、放映しているだけです。
大部分の年寄は、黙っています。リッチな年寄は当然として、何とか暮らせる年寄たちは何も言いません。黙っています。
一部の年寄がテレビで不満を訴えると、視聴者は年寄全体の問題であるかのように錯覚します。そう、錯覚です。大部分の年寄は金を持っており、医療制度の恩恵に浴しています。安心して老後を暮らしている年寄の比率は、安心して生活をしている若者の比率と比較して、圧倒的に高いことは明らかです。
この間、こんな話を聞きました。94歳のご主人と90歳の奥さんの話です。二人は民間の老人ホームに入居しています。二人とも元教師でした。55歳まで30年以上働いたそうです。昔の給料は安かったので当然年金も安かったのですが、スライド制ということで物価に合わせて年金も上がっていったそうです。当然のことながら、教員の年金にも加入していたので、今かなりの額を受け取っているとのことです。具体的な金額は聞けませんでしたが、たぶん25万円以上受け取っていると思います。二人で50万円以上です。二人とも年金を、40年近く受け取っているのです。すごいですね。もっとすごいのは、子供さんのことです。子供さんも年金を受け取る年齢になっているのです。老人ホームで暮らしている両親の生活費は、食費を含めて1ヶ月25万円ほどだそうです。お金を使うことがありませんから、毎月25万円以上残るそうです。そのお金と自分の年金を、子供が受け取っているとのことです。なんと、働かなくても大きなお金(たぶん100万円以上・・・・・・ただし2か月分)が、厚生労働省から定期的に振り込まれてくるのです。あきれませんか?
若者は、3Kの仕事で汗と泥にまみれて働いても、十数万円の収入なのです。これでは、不満が高まるのは当たり前ではありませんか。(明日につづく)

2009年1月2日金曜日

32.内戦の原因

近年ユーゴスラビア、チェチェン、コンゴ、ソマリアなど、世界中で内戦が起きました。去年は中国のチベットや新疆ウイグル地区などで起こっています(正確に言えば、内戦というよりも暴動といえるかもしれませんが)
それらの原因は、民族問題・宗教・利権などいろいろあるでしょう。しかし、それらは根源的な原因ではありません。それらが原因だとするなら、世界中でもっとたくさんの内戦が起こっているはずです。アメリカなど、内戦だらけの国になります。
私は、その根源的原因が、「不平等な扱い」に尽きると考えています。支配層が被支配層に対して、不平等な扱いをする、それが積もり積もって臨界点に達し爆発するのです。民族感情や宗教の違いは、その触媒の役割をはたしているに過ぎません。
古代ローマ帝国でも五賢帝時代のあと、各地で反乱が起こりました。これをおさめるべく、ローマの支配下にある全ての地域に、平等な市民権が与えられました。しかし思惑とは逆に、ローマに財産や教育が平均以下の大量の市民が押し寄せ、皮肉にも階層化(不平等化)への道を歩みだすこととなりました。そして、内乱状態になっていったのです。それほど不平等という観念は、厄介なものであることを、歴史が証明しております。
日本でも、すでに内戦が始まっています。その原因は、「不平等な扱い」です。いまや不平等は、社会に蔓延しています。教育、福祉、雇用、経済・・・・・・・。格差は広がる一方です。官民格差、雇用格差、地域格差・・・・・・・。優位にある者はますます優位になり、反対に劣勢にある者はますます劣勢になる。その際たるものが、年寄対若者の格差です。なぜなら資本主義の根幹をなす、「お金」が年寄と若者の間で不平等になっているからです。不平等とは、単なる予算配分を指すのではありません。お金の所有分布も含まれます。富が偏在すれば、不満は高まる。特に若者のお金に対する不満は、誰にその責任を追及したらいいのか明瞭でなく、はけ口がありません。
人並みの教育は受けたけれど、いい就職口がない。就職できても、給料は安い。給料が安いから生活に追われ、貯金ができない。結婚もできない。病気が心配だ。病気をすれば失業する。失業すれば、条件の悪いところしか働き口がない。そんな仕事でも、あればましな方だ。今生きていくのが精一杯で、将来のことなど考えられない。こんな人生でいいのだろうか。不満と不安で一杯だ。
これが、いわゆるワーキングプアといわれる若者たちの現状です。この十数年来、独身者が毎年増加しています。また、婚期が遅くなっています。みんな将来の設計図が画けないからです。
若者たちは、超長寿時代の到来に、気付いていたのではないでしょうか。(5日月曜日につづく)