2008年12月26日金曜日

28.尊厳死

島根県隠岐の離島で、終末期を迎えた高齢者と生活をともにしている女の人がいました。NPO法人、「なごみの里」代表柴田久美子さんです。彼女の著書、「『ありがとう』は祈りの言葉」を読みました。その中からの抜粋です。
95歳女性・・・・・・・「よく『死にて~』って嘆く年寄がいるけど、あれは愚痴だよな。死にたいなんていったら、世話してもらっている家族に申し訳ない。言ってはならない言葉だ。昔は、この島でもたくさんの年寄が首をくくったもんだ。今は時代がよくなって、皆、年寄を大事にしてくれる。わしは、こうして息をしていること、今、生かされていることに感謝しているよ」 (95歳になっても、しっかりと自分の置かれた立場を把握されています。こういうお年寄なら、長生き大いに結構と思うのです)
92歳女性(末期ガン患者)に対する著者の言葉・・・・・・・「何度となく激痛に襲われた。しかし、『人様に迷惑をかけるから』と、島の療養所に連絡を入れようとはしなかった。一人で苦しみに耐えながら、夜の明けるのをただひたすら待つような人だった。(中略)死を宣告され、痛みをこらえながら、たった一人で暮らす千代さん。人はこれほどまでに凛として生きられるものなのか。私はただただ驚き、感動するばかりであった」 (人に迷惑をかけられないといって、夜中に医者を呼ばないひと。すばらしい年寄です)
著者の言葉・・・・・・・「インドのカルカッタにあるマザー・テレサの施設、『死を待つ人の家(カリガート)』 そこはスラム街の路上で死にかけている人々が、人間らしい最期を迎えるための施設。多くの人は死に際に、『サンキュー』といって旅立っていくという。人生の最後の最後に、『ありがとう』といってこの世を去っていく。それこそが、私が心の底から求めてやまない看取りであり、私が求めていた、『人間らしい死』なのである。たとえ人生の99%が不幸であったとしても、最期の時が幸せなら、その人の人生は美しいものに変わるであろう」
この著者は人間が、自然にそして尊厳を持って死に臨んでいる姿を、この本の中で数多く取り上げています。登場するお年寄たちは、皆、腹が座っています。じたばた延命治療など受けずに、時が来るのを静かに待っています。そして最期は、家族らに看取られて亡くなっていくのです。「東京物語」の東山千栄子のような死に方です。私は、これが理想的な死に方だと思います。「東京物語」は戦後まもなくの時代で、東山千栄子は67歳で亡くなったことに設定されています。現在は、平均寿命が大幅に伸びました。医学の発達も、大いに関係があるでしょう。しかし、死に際については何歳であろうと同じことです。人間としての尊厳を保ちながら、あの世に旅立ちたいものです。(月曜日につづく)

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