2008年12月30日火曜日

30.宗教と死

エホバの王国云々とかいう宗教団体があります。数年前に、死にかけている子供に対する輸血を、両親が拒否した事件がありました。結局、子供は輸血を受けられず死にました。
このケースは、子供のことなので当然延命治療するべきだと思いました。今までいってきた高齢者のケースと、全く違うと考えるからです。
そこで、エホバの王国の・・・・・・・を調べてみました。
創世記に出てくる話があります。ノアの大洪水の後に、エホバ神はノアとその家族にこう命じます。「生きている動く生き物は、全くあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように、私はそれを全てあなた方に与える。ただしその魂、すなわちその血を伴う肉は食べてはならない」
動物の肉を食べるのは構わないが、血は魂や命を表しており、地面に注いで神に返すという考え方のようです。輸血も血を体内に摂取する、すなわち、「血を食べる」と同じ行為にあたるというわけです。だから、輸血を拒否したというのです。
宗教に対して文句をいうつもりはありませんが、血を摂取せずに食事をするというのは難しいのではないでしょうか。たとえば、マグロの刺身や鳥のもも肉などには、血が少しついている場合があります。カレーや鳥スープには、血が溶け込んでいるはずです。血を食べてはならないとする教えに対して、厳格にそれを守りきれるのでしょうか。どう考えても疑問符がつくのです。
わき道にそれましたが、宗教的信条によって死を選ばざるを得ないというのは、納得しにくい話です。輸血という治療法が開発されるずっと前の教えだから、こういう問題が起こるのでしょう。こんなところでも、医学と宗教は対立しているわけです。
ともかく、無駄な延命治療はやめようというのが私の主張ですが、必要な延命治療は否定しておりません。逆に必要なものであれば、今まで以上にもっと研究を続けてもらいたいものだと思っております。医学や科学の進歩を、真っ向から否定しているわけではないのです。(明日につづく)

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