2008年12月22日月曜日

25.日本人の死生観ーその4

数ヶ月前に、「最高の人生の見つけ方」というアメリカの映画を見ました。逃れることのできない死を受け入れて、残りの数ヶ月をいかに有意義に生きるかというテーマの映画でした。人間にとって死は避けられないのだから、生きている間にやっておきたいことはやっておこう、くよくよ考えず残りの時間を意味のあるものにしよう、という提案です。
全く同感で、死ぬと決まればくよくよ考えないことです。体はじたばたしても、精神はじたばたしないことです。無駄な延命治療は拒否し、寿命が尽きるまでやりたいことをやるだけです。それが、命の質を重視するということではないでしょうか。私は、その覚悟はできています。
プロ野球の野村監督が、何かの本に書いていました。じたばた動かず、ただじっとしている方が長生きするそうです。動物でいえば、ワニや亀や象がそれにあたります。確かに監督がいわれるように人間も、じたばたせずじっ~と構えている人の方が、長生きするように思います。貧乏暇なし、金持ち我関せずといいます。じっ~としている人に、勝ち組は多いかもしれません。でも私は、ただ長生きをするためだけに何もしない人生は、つまらないと思います。このような人は終末になっても、何らかの医療で生き延びようとするでしょう。このような人にとっては、長生き自体が目的であって、生き方の内容は二の次だからです。
これは、あまりにも利己的ではないかと思うのです。税金で膨大な医療費を使わせて、ただ長生きだけが目的だというのでは、あまりにも寂しすぎます。いや、理不尽だと思います。長生きだけが、人生の目的でないことは明らかです。長生きだけが目的で、人間としてワクワクするような感動や生きがいを軽視するのは、まことに愚かとしかいいようがありません。人生の価値は量(長さ)ではなくて、質(生き様)です。
自然との共生の中で育まれてきた日本人の死生観は、もう取り戻せません。しかし、「自然とともに」という観念はまだ生きています。だから、自然に逆らった生き方はしないと決めることが大事ではないでしょうか。つまり、無理して長生きしないということです。(明後日につづく)

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