2008年12月9日火曜日

16.人間とは元来寂しい存在

数ヶ月前の新聞に、フランスのサルコジ大統領夫人カーラさんの談話が載っていました。日本の洞爺湖サミットに夫婦で参加しないのは、日本が嫌いなのかという質問に答えたものです。
彼女は小津安二郎監督の、「東京物語」を見たというのです。その映画で、「日本人は、人間の寂しさを感じる繊細な心を持っていることが分かった。自分は北イタリア人なのでよく分かる。だから、日本が嫌いではない」というのです。
「東京物語」は1953年の映画です。何と偶然にも私は、この記事を読んだ2日前に、「東京物語」を市主催の映画会で見たのです。物語は笠智衆と東山千栄子の老夫婦(70歳と67歳)が、田舎(尾道)から東京にいる長男や長女に会いに行くところから始まります。夫婦愛、親子の感情、息子の嫁・娘の旦那との関係、孫のこと、戦争で死んだ次男の嫁(原節子)の情愛、帰途の病気、67歳で眠るように死んでゆく母・・・・・一家を通じて人生の1コマ1コマを、まるで記録映画のように淡々と捉えた作品です。人間のやさしさと寂しさを描写した映画といえるでしょう。
それをサルコジ夫人は、「人間の寂しさを感じる繊細な心」と表現しました。なかなかの感覚を持っている人のようです。
ともかく、この映画の設定時期は、昭和27~28年です。症状から見て、たぶん脳梗塞だと思うのですが、家に帰った東山千栄子は意識がないまま、数日後に他界します。医者も余計なことはしません。あの時代、何もできなかったのかもしれませんが、自然に死んでゆくのを医者はただ見ているだけです。葬式が終わると、家族はそれぞれ帰ってゆきます。あとに一人だけ、笠智衆が取り残されます。70歳のおじいさんが、一人で座っているところで物語は終わります。淡々とした流れの中で、仏教でいう生老病死を映し出す場面の数々、最近これだけ記憶に残った映画はありません。半世紀以上も前の作品だというのに、現在でも新鮮さを失っておりません。
人間とは本来、寂しい存在だということを再認識させられました。また、寂しい存在でいいのだとも思いました。寂しく死んでゆくのが、自然なのです。
意識がなくなる少し前に、東山千栄子が笠智衆にいいます。
「私たちは世間の人よりも、ほんの少しだけ幸せだったのではないでしょうか」

0 件のコメント: