2009年1月7日水曜日

35.年寄対若者という構図(その2)

ともかく祖父母から親、親から子へと受け継がれてきたバトンが、なかなか受け継がれなくなっているのです。長寿社会になったために、再生産や投資をしない年寄に資産が集中してしまっています。
もしも昔のように、50歳前後で相続していればどうなるか? 家の新築や増改築、車やヨット、あるいはゴルフの会員権を買うかもしれない。つまり世の中に、お金が出回るのです。1000兆円のお金が、いろいろなものを求めて動き出すのです。日銀が景気対策をやるよりも、どれほど劇的な効果が期待できるでしょうか。
仮の話ですが、年寄の平均寿命が10年ほど下がるだけで、大変な経済効果が期待できるのです。
ともかく、リッチな年寄に対して若者はプアすぎる。私はこのギャップが、大きな不平等感の原因だと考えています。高齢化社会に突入した現在、喫緊の課題はこの、「老」と、「若」のギャップを埋めることしかありません。
「長生きはめでたい」とか、「年寄は敬うべきだ」といった旧来の固定観念を見直すべきです。敬老思想というタブーに、疑問を呈さざるを得ぬ状況が発生しているのです。敬うべき人は敬うのが当然ですが、ただ生きているだけで迷惑だけかけている人をどうするのか。何が何でも敬老というのは、少しおかしいと考えなければならないと思うのです。
日本の政治家は、このことが国の将来を決する政治のツボであることを、全員が自覚するべきです。このことを俎上にあげ、問題提起している政治家は今、皆無なのではないでしょうか。(明日につづく)

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