2008年11月26日水曜日

7.命の価値

沈没しかかっている客船があると仮定します。あいにく救命ボートには、乗客・乗員全員が乗れません。救命ボートに乗る優先順位は、どうなるでしょうか?
まず、子供と女性は最優先でしょう。乗員以外の客の中では、年寄が一番あとになるのではないでしょうか。乗客の自由意志に任せたとしても、年寄は遠慮すると思います。まさか女子供を押しのけて、自分だけは助かりたいといって、救命ボートに飛び乗るような年寄はいないでしょう。
命というかけがいのないものの優先順位は、明らかに年寄の味方にはなってくれません。これは一隻の客船の中における命の順位付けともいえます。限られた数の生存権の奪い合いともいえましょう。究極の状況に追い込まれれば、人間はこのような残酷な選択をしなければならないのです。
この状況を、日本の国にあてはめて考えてみたいと思います。国は国民の税金を活用することによって、成り立っています。しかし今、命の次に大事といわれるお金つまり税金が不足しています。歳入増は期待しづらいので、歳出の削減しかありません。これ以上国債に頼らぬためには、予算の削減やカットしか選択肢はないのです。
救命ボートの数が足りないから、乗れない人たちを決めなければならないということなのです。沈没する客船に誰を残し、誰を脱出させるか決断しなければなりません。この答えは書くまでもないでしょう。私が若ければ、この答えは無責任といわれるかもしれません。しかし、私は年寄の仲間入りをしている人間です。企業を定年退職し、貯えもなく少ない年金で生活している立場なのです。今、腰痛をかかえていて健康のことも不安です。厳しい立場であるがゆえに、筋の通った話を主張したいのです。自分だけいつでも救命ボートに乗れるように準備をしておきながら、一方で正論をぶち上げるような姑息なことはしません。私は救命ボートに乗りません。だから同じ立場の年寄に、「若い人を優先しましょう」と呼びかけることができるのです。(明日につづく)

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