数ヶ月前の新聞に、フランスのサルコジ大統領夫人カーラさんの談話が載っていました。日本の洞爺湖サミットに夫婦で参加しないのは、日本が嫌いなのかという質問に答えたものです。
彼女は小津安二郎監督の、「東京物語」を見たというのです。その映画で、「日本人は、人間の寂しさを感じる繊細な心を持っていることが分かった。自分は北イタリア人なのでよく分かる。だから、日本が嫌いではない」というのです。
「東京物語」は1953年の映画です。何と偶然にも私は、この記事を読んだ2日前に、「東京物語」を市主催の映画会で見たのです。物語は笠智衆と東山千栄子の老夫婦(70歳と67歳)が、田舎(尾道)から東京にいる長男や長女に会いに行くところから始まります。夫婦愛、親子の感情、息子の嫁・娘の旦那との関係、孫のこと、戦争で死んだ次男の嫁(原節子)の情愛、帰途の病気、67歳で眠るように死んでゆく母・・・・・一家を通じて人生の1コマ1コマを、まるで記録映画のように淡々と捉えた作品です。人間のやさしさと寂しさを描写した映画といえるでしょう。
それをサルコジ夫人は、「人間の寂しさを感じる繊細な心」と表現しました。なかなかの感覚を持っている人のようです。
ともかく、この映画の設定時期は、昭和27~28年です。症状から見て、たぶん脳梗塞だと思うのですが、家に帰った東山千栄子は意識がないまま、数日後に他界します。医者も余計なことはしません。あの時代、何もできなかったのかもしれませんが、自然に死んでゆくのを医者はただ見ているだけです。葬式が終わると、家族はそれぞれ帰ってゆきます。あとに一人だけ、笠智衆が取り残されます。70歳のおじいさんが、一人で座っているところで物語は終わります。淡々とした流れの中で、仏教でいう生老病死を映し出す場面の数々、最近これだけ記憶に残った映画はありません。半世紀以上も前の作品だというのに、現在でも新鮮さを失っておりません。
人間とは本来、寂しい存在だということを再認識させられました。また、寂しい存在でいいのだとも思いました。寂しく死んでゆくのが、自然なのです。
意識がなくなる少し前に、東山千栄子が笠智衆にいいます。
「私たちは世間の人よりも、ほんの少しだけ幸せだったのではないでしょうか」
2008年12月9日火曜日
2008年12月8日月曜日
15.嫌老思想あれやこれ
先週末は、若くして亡くなった天才たちを取り上げ、礼賛(らいさん)しました。今日は年寄のこきおろしの番です。
<アリストテレス>
老醜をさらすとか、生き恥という言葉があります。アリストテレスもこんなことを言っています。
「恥は若者にとって名誉であり、老人にとって屈辱である」
ニコマコス倫理学の中の、彼の考えは以下の通りです。
「肉体と魂は結合している。老年の幸福とは、肉体が健康であることである。したがって、肉体の老化は人格の退行を意味する。老人はケチでエゴイストで、利害を超えた友情を知らず、倦怠のため愛情も失せており、性格が気難しい」
なんともすごいですね。アリストテレスは、嫌老思想の代表格です。
<孔子>
「長じて述べらるることなく、老いて死せざる、是を賊と為す」
これ、孔子の言葉です。歳をとっても評価されることなく、なかなか死なない。これはよくないことだといっているのです。
儒教は敬老観念の教えといわれるが、老人自身の厳しい自己抑制が前提となっているのです。死後のことなど分からないとする孔子にとって、老年期とは死ぬ前の大事な時期であり、どう生きたかが問われる時期でもあったのです。私には、尊敬される老人以外は、早く死になさいといっているように聞こえます。
<ラスコーリニコフ>
ドストエフスキーの、「罪と罰」の主人公です。
「有為な青年のためには、無益な老人の生命と財産を奪っても構わない」という命題を追いながら、主人公の心の葛藤を描いた小説です。人間を社会的存在価値だけで規定してしまうと、老人殺しを否定できなくなります。アリストテレスや孔子は、こちらの派に属しているようですね。何故老人殺しをしてはいけないのか、何故老人を大事にしなければならないのかということについては、ドストエフスキーは直接触れていません。主人公が自首し、シベリヤ送りになるまでの過程で、読者にその課題を考えさせようとしているようです。結論から言えば、ドストエフスキーは老人擁護派になるかもしれません。しかし、老人の存在価値を命題にしたこと自体、その根深さを認識していたことになります。
<西鶴>
「人間五十年の穴(きはま)り それさえ我には余りたるに ましてや浮世の月見 過ごしにけり 末二年」
西鶴が、52歳で亡くなった時の句です。人間は50年で死ぬのがちょうどいい。それなのに何としたことか、自分は2年も余計に生きてしまった。まことに、いさぎいい死に方だと思います。
<兼好法師>
「住み果てぬ世に、醜き姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」
徒然草の一節です。寿命の短かった時代ですから、四十足らずで死ぬのがいい、見苦しくない生き方をせよと兼好法師は言っているのです。老人のことを醜き姿といっているし、長生きすると恥が多いといっていますから、やはり嫌老思想といえるでしょう。
そのご本人は、当時としては異例の長生きといえる、七十歳近くまで生きたそうです。言行不一致ですね。
<銀嶺の果て>
村上春樹の小説の題名です。
年寄が生きていること自体が罪として、国が老人処刑制度を作ります。一つの地域で老人同士が殺しあって、残った一人だけが生き残れるという制度を国が作ったという奇想天外な内容です。
一人の老社長が、国の係官に食ってかかります。「わしは金をたくさん稼いでいるし、誰にも迷惑をかけていない。だから自分は免除して欲しい!」
ところが係官はこう言うのです。「例外はありません。老人が老人であることそのものが罪なのです」
まことに厳しい内容です。老人問題のタブーを打ち破ったというよりも、老人問題の核心に迫った村上春樹ワールドといっていいでしょう。
以上、老人問題の本質とは何かを、歴史上の人物などに学んでみました。無条件の長生き礼賛主義者は、知らないので取り上げようがありません。人間は、長生きするのがいい、長生きはめでたいとは必ずしもいえないようです。そのことが、老人問題・長寿社会を考える上で、非常に重要なポイントだと私は考えます。
<アリストテレス>
老醜をさらすとか、生き恥という言葉があります。アリストテレスもこんなことを言っています。
「恥は若者にとって名誉であり、老人にとって屈辱である」
ニコマコス倫理学の中の、彼の考えは以下の通りです。
「肉体と魂は結合している。老年の幸福とは、肉体が健康であることである。したがって、肉体の老化は人格の退行を意味する。老人はケチでエゴイストで、利害を超えた友情を知らず、倦怠のため愛情も失せており、性格が気難しい」
なんともすごいですね。アリストテレスは、嫌老思想の代表格です。
<孔子>
「長じて述べらるることなく、老いて死せざる、是を賊と為す」
これ、孔子の言葉です。歳をとっても評価されることなく、なかなか死なない。これはよくないことだといっているのです。
儒教は敬老観念の教えといわれるが、老人自身の厳しい自己抑制が前提となっているのです。死後のことなど分からないとする孔子にとって、老年期とは死ぬ前の大事な時期であり、どう生きたかが問われる時期でもあったのです。私には、尊敬される老人以外は、早く死になさいといっているように聞こえます。
<ラスコーリニコフ>
ドストエフスキーの、「罪と罰」の主人公です。
「有為な青年のためには、無益な老人の生命と財産を奪っても構わない」という命題を追いながら、主人公の心の葛藤を描いた小説です。人間を社会的存在価値だけで規定してしまうと、老人殺しを否定できなくなります。アリストテレスや孔子は、こちらの派に属しているようですね。何故老人殺しをしてはいけないのか、何故老人を大事にしなければならないのかということについては、ドストエフスキーは直接触れていません。主人公が自首し、シベリヤ送りになるまでの過程で、読者にその課題を考えさせようとしているようです。結論から言えば、ドストエフスキーは老人擁護派になるかもしれません。しかし、老人の存在価値を命題にしたこと自体、その根深さを認識していたことになります。
<西鶴>
「人間五十年の穴(きはま)り それさえ我には余りたるに ましてや浮世の月見 過ごしにけり 末二年」
西鶴が、52歳で亡くなった時の句です。人間は50年で死ぬのがちょうどいい。それなのに何としたことか、自分は2年も余計に生きてしまった。まことに、いさぎいい死に方だと思います。
<兼好法師>
「住み果てぬ世に、醜き姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」
徒然草の一節です。寿命の短かった時代ですから、四十足らずで死ぬのがいい、見苦しくない生き方をせよと兼好法師は言っているのです。老人のことを醜き姿といっているし、長生きすると恥が多いといっていますから、やはり嫌老思想といえるでしょう。
そのご本人は、当時としては異例の長生きといえる、七十歳近くまで生きたそうです。言行不一致ですね。
<銀嶺の果て>
村上春樹の小説の題名です。
年寄が生きていること自体が罪として、国が老人処刑制度を作ります。一つの地域で老人同士が殺しあって、残った一人だけが生き残れるという制度を国が作ったという奇想天外な内容です。
一人の老社長が、国の係官に食ってかかります。「わしは金をたくさん稼いでいるし、誰にも迷惑をかけていない。だから自分は免除して欲しい!」
ところが係官はこう言うのです。「例外はありません。老人が老人であることそのものが罪なのです」
まことに厳しい内容です。老人問題のタブーを打ち破ったというよりも、老人問題の核心に迫った村上春樹ワールドといっていいでしょう。
以上、老人問題の本質とは何かを、歴史上の人物などに学んでみました。無条件の長生き礼賛主義者は、知らないので取り上げようがありません。人間は、長生きするのがいい、長生きはめでたいとは必ずしもいえないようです。そのことが、老人問題・長寿社会を考える上で、非常に重要なポイントだと私は考えます。
2008年12月5日金曜日
14.若くして亡くなった天才たち
生活が便利になったからといって、現代人は皆、幸せでしょうか。ストレス社会となり、かえって不幸な人が増加しているのではないかと思うのです。生活が不便だった短命の時代の方が、感激や喜びが凝縮されていたのです。不便で短い人生ではあるが、充実した人生だったのです。美人薄命などという言葉も、そんな時代背景の下に生まれたのではないでしょうか。また、若くして亡くなった天才たちも、沢山いました。いわゆる、夭折した天才を挙げてみます。
パスカル (仏、数学者、哲学者) 39歳
ランボー (仏、詩人) 37歳
石川啄木 (詩人) 27歳
樋口一葉 (小説家、詩人) 24歳
正岡子規 (詩人、歌人) 35歳
宮沢賢治 (童話作家) 37歳
モジリアーニ (伊、画家) 36歳
ガーシュイン (米、作曲家) 38歳
ショパン (ポーランド、作曲家) 39歳
滝廉太郎 (作曲家) 23歳
メンデルスゾーン (独、作曲家) 38歳
モーツアルト (墺、作曲家) 35歳
全員39歳以下です。
今の日本人の平均寿命の、半分以下で亡くなっています。しかし、その輝かしい業績は歴史に燦然と残っています。彼らの人生は、中味の詰まった人生だったといえるのではないでしょうか。(月曜日につづく)
パスカル (仏、数学者、哲学者) 39歳
ランボー (仏、詩人) 37歳
石川啄木 (詩人) 27歳
樋口一葉 (小説家、詩人) 24歳
正岡子規 (詩人、歌人) 35歳
宮沢賢治 (童話作家) 37歳
モジリアーニ (伊、画家) 36歳
ガーシュイン (米、作曲家) 38歳
ショパン (ポーランド、作曲家) 39歳
滝廉太郎 (作曲家) 23歳
メンデルスゾーン (独、作曲家) 38歳
モーツアルト (墺、作曲家) 35歳
全員39歳以下です。
今の日本人の平均寿命の、半分以下で亡くなっています。しかし、その輝かしい業績は歴史に燦然と残っています。彼らの人生は、中味の詰まった人生だったといえるのではないでしょうか。(月曜日につづく)
2008年12月4日木曜日
13.大昔の釣り
昔の釣りは釣れなくて、大変だったろうと思います。石の釣針を使っていた時代はともかく、銅や鉄で作った針でも、現在のような精巧で強靭なものとは、比べものにならないような代物だったでしょう。糸もナイロンなどなかった時代ですから、糸を撚り合わせたひものようなものを使っていたものと思われます。棹(さお)はカーボン製ではなく、竹でした。リールももちろんありません。
私も釣りは好きですが、現在のように恵まれた道具を使った釣りでも、大きな魚が釣れた時は本当にうれしいものです。現在に比べて、道具に恵まれなかった時代は、魚がなかなか釣れなかったと思います。だから釣れた時の喜びは、現在と比べようもないほど、大きかったのではないかと想像します。感動の大きさが違うと思うのです。
道具に恵まれず、あまり釣れないけれど、そのかわり釣れた時の感激は、至上のものだったに違いありません。中国のことわざで、あらゆる道楽の中で釣りに勝るものはない、という話を聞いたことがあります。それほど魅力的だったのでしょう。
昔は、「釣る」という行為の中に、感激や喜びが今以上に凝縮されていたのではないでしょうか。
人生についても、釣りと同様のことがいえるのではないかと思うのです。衣・食・住すべての面において、昔と現在とでは比較にならないほど便利になりました。
しかし、人生の感激や喜びという点においては、優劣はつけられないと思います。かえって昔の方が、感激や喜びが凝縮されていて、それを大きく感じたのではないでしょうか。(明日につづく)
私も釣りは好きですが、現在のように恵まれた道具を使った釣りでも、大きな魚が釣れた時は本当にうれしいものです。現在に比べて、道具に恵まれなかった時代は、魚がなかなか釣れなかったと思います。だから釣れた時の喜びは、現在と比べようもないほど、大きかったのではないかと想像します。感動の大きさが違うと思うのです。
道具に恵まれず、あまり釣れないけれど、そのかわり釣れた時の感激は、至上のものだったに違いありません。中国のことわざで、あらゆる道楽の中で釣りに勝るものはない、という話を聞いたことがあります。それほど魅力的だったのでしょう。
昔は、「釣る」という行為の中に、感激や喜びが今以上に凝縮されていたのではないでしょうか。
人生についても、釣りと同様のことがいえるのではないかと思うのです。衣・食・住すべての面において、昔と現在とでは比較にならないほど便利になりました。
しかし、人生の感激や喜びという点においては、優劣はつけられないと思います。かえって昔の方が、感激や喜びが凝縮されていて、それを大きく感じたのではないでしょうか。(明日につづく)
2008年12月3日水曜日
12.変な教授
植島啓司という大学教授がいます。宗教人類学者となっていますが、ギャンブル学者といった方が適切でしょう。競馬・麻雀・カジノ・・・・・。何でも来いで、世界中をギャンブルのために飛び歩いている人です。その彼の著書、「賭ける魂」を読みました。その中に寿命に関する興味深い部分があるので、紹介させていただきます。
新聞記者、「何故競馬が好きになったんですか?」
植島、「それは馬という生き物のせいでしょうね」
新聞記者、「というと・・・・」
植島、「馬の寿命は短いし、競走生命はさらに極端に短い。ところが、短いからこそ生命の連続性に敏感になる。この馬の母の父はテスコボーイとかね」
新聞記者、「なるほど。寿命というのはつい長ければ長いほどいいと考えがちですが、長いとかえって生命の連続性が見えにくくなってしまうということですね。短いからこそ、生命がひと繫がりになっているのが見える」
植島、「ええ、人間はいまだいたい80年近く生きますね。つまり、それだと中途半端に長すぎるんです。自分が60歳になってようやく孫が誕生する。その孫が一人前になる姿はほぼ見られない。しかも生命が中途半端に長いから、ついそれで完成したものとみなしがちで、生命が連続しているという実感が持ちにくい」
新聞記者、「なるほど」
本文、「もちろん、寿命が長くなるのはめでたいことではあるけれど、なんだか寿命が50歳程度の頃のほうが、人間が人間らしく生きていたような気がしないでもない。『潔さ』とか、『いき』とか、『いなせ』とか、生き方に一本シンが通っていたように思われる。感情移入もしやすい。それがいまや寿命も80歳を超えて、次第に100歳に近づきつつある。そうなると、どうも人生がのっぺりしたものに見えてくる。しかも、その3分の1は病気や死との闘いである」
植島教授が言われるように、寿命が50歳程度のころのほうが、人間が人間らしく生きていたというのは当たっています。その通り! 昔の人の生き方の方が、シャンとしていました。(明日につづく)
asu
新聞記者、「何故競馬が好きになったんですか?」
植島、「それは馬という生き物のせいでしょうね」
新聞記者、「というと・・・・」
植島、「馬の寿命は短いし、競走生命はさらに極端に短い。ところが、短いからこそ生命の連続性に敏感になる。この馬の母の父はテスコボーイとかね」
新聞記者、「なるほど。寿命というのはつい長ければ長いほどいいと考えがちですが、長いとかえって生命の連続性が見えにくくなってしまうということですね。短いからこそ、生命がひと繫がりになっているのが見える」
植島、「ええ、人間はいまだいたい80年近く生きますね。つまり、それだと中途半端に長すぎるんです。自分が60歳になってようやく孫が誕生する。その孫が一人前になる姿はほぼ見られない。しかも生命が中途半端に長いから、ついそれで完成したものとみなしがちで、生命が連続しているという実感が持ちにくい」
新聞記者、「なるほど」
本文、「もちろん、寿命が長くなるのはめでたいことではあるけれど、なんだか寿命が50歳程度の頃のほうが、人間が人間らしく生きていたような気がしないでもない。『潔さ』とか、『いき』とか、『いなせ』とか、生き方に一本シンが通っていたように思われる。感情移入もしやすい。それがいまや寿命も80歳を超えて、次第に100歳に近づきつつある。そうなると、どうも人生がのっぺりしたものに見えてくる。しかも、その3分の1は病気や死との闘いである」
植島教授が言われるように、寿命が50歳程度のころのほうが、人間が人間らしく生きていたというのは当たっています。その通り! 昔の人の生き方の方が、シャンとしていました。(明日につづく)
asu
2008年12月2日火曜日
11.辻井喬=堤清二
いま読売新聞に毎週土曜日、「叙情と闘争」という連載があります。作家の辻井喬(西友の堤清二元社長)の回顧録です。過日、このような文章があったので、抜粋して引用させていただきます。
「1960年代から70年代にかけて、経済界の主流を形成していた経営者の多くは、敗戦で先輩が公職追放などの措置にあい、第一線を退いたあと四十歳代で急に経営者の座についた人たちだった。井深大、岩佐凱実(よしざね)、藤井丙午、。(中略) 彼らはいずれも日本が連合軍に無条件降伏したとき、三十代後半から四十代前半の年齢であり、大きな支店の支店長かエリートコースの課長あるいは部長というポストにいた。先輩たちが公職追放などで、企業を離れなければならなくなった時、彼らはまだ充分に若く、経営革新に乗り出すエネルギーを持っていた。僕は敗戦後の日本経済の躍進の大きな要因のひとつに、経済外的な条件の変化がもたらしたものであるが、指導層が一斉に若返ったことがあると思う。この、『一斉に』というところが実に大切なのだ。というのは、個々の企業が若返っても、社会のシステムが若返っていないと、若さが貫徹しないからである・・・・・」
戦後の日本経済の急発展の原因が、指導層の若返りにあったとする見解です。確かに戦後日本の経済発展の原因は、日本人の勤勉さや優秀性という意見が大勢を占めます。ところが、辻井氏は若さにあったといっているのです。敗戦という外的な原因ではあったが、若返りが驚異的な経済発展につながったという意見は、傾聴に値すると思います。
この文章の少しあとの部分に、次のような話が出てきます。電力の鬼と呼ばれた松永安左ェ門と、辻井氏が面談していた時の寓話です。
「『ちょっと失礼』といって座をはずして間もなく、松永の破れ鐘(われがね)のような怒鳴り声が聞こえてきた。『君は名誉でわしを釣る気できたのか。そんな卑しい根性の大学には一切寄付はせん。失敬な。帰れ、帰りなさい』と言っているのだ。どうやらどこかの大学の理事長か専務理事が寄付を頼みにきて、つい、これに応募してくれると名誉博士に、というようなことをいったのらしい(原文どおり)。 (中略)やがて戻ってきた彼は、『老人になって醜いのは物欲と名誉欲だ。見下げ果てた奴だ』と、まだ怒っていた」
この部分で感心したのは、老人になって醜いのは物欲と名誉欲だといった松永の名言です。確かに欲望丸出しの年寄ほど、醜い存在はありません。
「1960年代から70年代にかけて、経済界の主流を形成していた経営者の多くは、敗戦で先輩が公職追放などの措置にあい、第一線を退いたあと四十歳代で急に経営者の座についた人たちだった。井深大、岩佐凱実(よしざね)、藤井丙午、。(中略) 彼らはいずれも日本が連合軍に無条件降伏したとき、三十代後半から四十代前半の年齢であり、大きな支店の支店長かエリートコースの課長あるいは部長というポストにいた。先輩たちが公職追放などで、企業を離れなければならなくなった時、彼らはまだ充分に若く、経営革新に乗り出すエネルギーを持っていた。僕は敗戦後の日本経済の躍進の大きな要因のひとつに、経済外的な条件の変化がもたらしたものであるが、指導層が一斉に若返ったことがあると思う。この、『一斉に』というところが実に大切なのだ。というのは、個々の企業が若返っても、社会のシステムが若返っていないと、若さが貫徹しないからである・・・・・」
戦後の日本経済の急発展の原因が、指導層の若返りにあったとする見解です。確かに戦後日本の経済発展の原因は、日本人の勤勉さや優秀性という意見が大勢を占めます。ところが、辻井氏は若さにあったといっているのです。敗戦という外的な原因ではあったが、若返りが驚異的な経済発展につながったという意見は、傾聴に値すると思います。
この文章の少しあとの部分に、次のような話が出てきます。電力の鬼と呼ばれた松永安左ェ門と、辻井氏が面談していた時の寓話です。
「『ちょっと失礼』といって座をはずして間もなく、松永の破れ鐘(われがね)のような怒鳴り声が聞こえてきた。『君は名誉でわしを釣る気できたのか。そんな卑しい根性の大学には一切寄付はせん。失敬な。帰れ、帰りなさい』と言っているのだ。どうやらどこかの大学の理事長か専務理事が寄付を頼みにきて、つい、これに応募してくれると名誉博士に、というようなことをいったのらしい(原文どおり)。 (中略)やがて戻ってきた彼は、『老人になって醜いのは物欲と名誉欲だ。見下げ果てた奴だ』と、まだ怒っていた」
この部分で感心したのは、老人になって醜いのは物欲と名誉欲だといった松永の名言です。確かに欲望丸出しの年寄ほど、醜い存在はありません。
2008年12月1日月曜日
10.短命の時代・・・・松王丸伝説
松王丸伝説というのがあります。平清盛が宋との貿易拠点として、今の神戸に湊や人工島を作ろうとしました。経ヶ島(きょうがしま)築造の際、二度にわたって暴風雨にあい、破壊されました。陰陽博士に占わせたところ、海の竜神の怒りを鎮めるために30人の人柱(ひとばしら)を建てねばならないとのこと。清盛は生田の森の関所で、旅人などを30人捕まえさせ、牢屋に入れました。これを見て悲しんだのが、清盛の小姓、松王丸17歳でした。30人の人たちの代わりに、自分を人柱に建てて欲しいと清盛に申し出、受け入れられたのです。千人の僧侶が読経する中、経を書いた石とともに心静かに入水したそうです。そして完成した島は、経ヶ島と命名されました。松王丸は清盛が眼に入れても痛くないほど、かわいがっていた小姓でした。また、松王丸の父親は讃岐の城主、田井民部で、松王丸は嫡男でした。清盛も父親も、松王丸の死を認めたのです。
平家物語などには書かれてないので、真相はよく分かりません。話として、受け継がれているだけなのです。真偽の程はともかく、17歳という若さの死を認めてしまうというのは、どういう感覚なのでしょうか。
私は命の短かった時代だからこその、感覚ではなかったかと考えています。人身御供(ひとみごくう)という命の使われ方も、あの時代の中では意義のあるものと考えたのかもしれません。あるいは長くない命の使われ方として、妥当なものと考えたのかもしれません。ともかく親も認めた、「死という命の使われ方」は、命が短かった時代特有の感覚だと思います。
この間、松王丸が入水したと思われるところを見てきました。神戸港の港めぐりの観覧船に乗ったのです。川崎汽船と三菱重工の造船所の間に、兵庫埠頭があります。たぶんここが、あの経ヶ島のあったところではないかと思いました。船内の案内放送では、神戸港の地理的な特異性に触れていました。東京港、名古屋港、大阪港はじめニューヨーク港、ハンブルグ港など世界のほとんどの港は、大きい川の河口にできているが、神戸港は河口ではない。これは平清盛が、西風を避けるために半島の東側に港を作ったからだと、説明していました。これだけの説明では不十分で、北風や東風を避け、荒波を和らげるために、人工島の経ヶ島を作ったことが抜けています。さらに経ヶ島を作るために、松王丸が命を捧げたことまで、触れて欲しかったと思いました。
命の短かった時代に、このような若者がいたということを、いつまでも伝え残したいものです。(明日につづく)
平家物語などには書かれてないので、真相はよく分かりません。話として、受け継がれているだけなのです。真偽の程はともかく、17歳という若さの死を認めてしまうというのは、どういう感覚なのでしょうか。
私は命の短かった時代だからこその、感覚ではなかったかと考えています。人身御供(ひとみごくう)という命の使われ方も、あの時代の中では意義のあるものと考えたのかもしれません。あるいは長くない命の使われ方として、妥当なものと考えたのかもしれません。ともかく親も認めた、「死という命の使われ方」は、命が短かった時代特有の感覚だと思います。
この間、松王丸が入水したと思われるところを見てきました。神戸港の港めぐりの観覧船に乗ったのです。川崎汽船と三菱重工の造船所の間に、兵庫埠頭があります。たぶんここが、あの経ヶ島のあったところではないかと思いました。船内の案内放送では、神戸港の地理的な特異性に触れていました。東京港、名古屋港、大阪港はじめニューヨーク港、ハンブルグ港など世界のほとんどの港は、大きい川の河口にできているが、神戸港は河口ではない。これは平清盛が、西風を避けるために半島の東側に港を作ったからだと、説明していました。これだけの説明では不十分で、北風や東風を避け、荒波を和らげるために、人工島の経ヶ島を作ったことが抜けています。さらに経ヶ島を作るために、松王丸が命を捧げたことまで、触れて欲しかったと思いました。
命の短かった時代に、このような若者がいたということを、いつまでも伝え残したいものです。(明日につづく)
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