2009年2月17日火曜日

54.間延びした人生

人生は若者から見れば非常に長い未来ですが、年寄から見れば非常に短い過去です。ほとんどの年寄は長生きしても、長生きしたとは思っていません。西鶴や芭蕉のように、「50年も生きたのだから、もうこれで充分だ」と考える人は少ないのです。短命の時代では、西鶴や芭蕉のように人生五十年と覚悟して生きました。しかし今は、医療・食糧・衛生など飛躍的によくなっています。過去類例を見ない長寿社会を迎えたのです。団塊の世代が60歳代となり、やがて年寄の仲間入りをします。ますます年寄の数が増えるのです。植島教授ではありませんが、人生がのっぺりと間延びしたものに変わっています。間延びした生命は、年寄だけのことではありません。若者にとっても、気の遠くなるような間延びした長い人生が待ち受けているのです。年寄はふと気づいたら、年をとっていたと感じます。しかし若者は反対です。死の告知の逆で、これからの長い生命を告知されているようなものなのです。
間延びとは、時の価値が下がることを意味します。若者の生きている時間の価値が、下がっているのです。特にいわゆる負け組の若者たちにとって、人生はどれほど辛く苦しいものでしょうか。現在の辛くて苦しい人生の延長線上には、明るいものが何も見えてこないのです。あと半世紀以上も生きなければならないというのに、お金や生活の不安しか見えてこないのです。結婚するなどといったことは、不安で考えることもできません。(明日につづく)

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