2009年2月4日水曜日

46.公正な議論

よく大声で、「戦争は絶対にいけない、無条件でやめるべきだ」と叫んでいる人々がいるが、彼らがいくら叫んでも戦争はなくなりません。観念的に、「〇〇はダメ」と決め打ちしてしまうのは、単なる感情論です。そのような人は内戦が起きているアフリカに出かけていって、「戦争はダメよ」などというプラカードを担いで、戦争反対を訴えてみてはどうでしょうか。撃ち殺されるのがオチです。
戦争がよくないことは、誰でも分かっています。戦争はよくないが、それを前提とせず、「どうすれば戦争を避けられるのか」という議論をするのが大人のやり方です。中には、避けて通れない戦争というものも考えられるはず、といった意見も出るかもしれません。そういう意見も言わせたうえでの議論でなければならないと思うのです。頭から戦争反対だけを前提にした議論は、偏っています。
「年寄を大事にしなくてはいけない」も同じことです。無条件かつ観念的に、年寄が大事な存在だと決めてかかるのは感情論です。私も、年寄を大事にするのは当たり前という教育を受けてきました。だから年寄を大事にするのは当たり前、という前提に立ちそうになることがありました。しかし冷静に考えれば、年寄以外の、たとえば赤ちゃんは大事にしなくてもいいのかとか、手がつけられないほどたちの悪い年寄を大事にする必要があるのかといった疑問が残ります。やはり年寄も含めて、人間皆が大事だということでしょう。その前提に立って、「年寄を大事にするということは、具体的にどのようなことを指すのか」という議論をするべきだと思います。そうすれば当然、大事にしなくてもいい年寄だとか、年寄を大事にしなくてもいい場合などという概念も生まれてくるはずです。なにがなんでも、「ダメなものはダメ」式の発想では、話し合いになりません。
考え方の土台に価値観の共通部分を残しながら、あらゆる可能性を追求していく姿勢を持つことが、公正な話し合いです。時代とともに、年寄の概念も変化していくはずです。今までの固定観念を捨てて、年寄をどう扱うかについて、国を挙げての議論をするべき時期に来ています。(明日につづく)

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